
三日堂ベトナム情報局
執筆担当
ジャアク商会ベトナム支局長
石原文春
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●2002年02月28日(木)
2月28日(木)はれ
昨日は朝から忙しく、ついつい日記を書かないまま一日が過ぎた。
朝、ドンコイ通りの雑貨屋Les Espiceで撮影。店の人は入り口を撮ってくれというが、ここの商品は他の店と変わっていて面白いので、商品の方がいい広告ができると思う、と商品カットを3点。一応店の正面も押さえる。
それからナムキーコイギアの洋服屋に行き、編集者と合流。編集者が取材の間に、服や靴の写真を撮る。
一旦編集部に戻り、昼は韓国料理屋の取材。みんなで食事を兼ねて出かける。弱小編集部なので、こういう時も食事は自腹である。石焼きビビンバ、海鮮チゲ、冷麺などの写真を撮り、食べる。
その後、ハイバーチュンのレストランに行き、店の写真を撮る。フィルムがISO-100とISO-800しかないが、店内が続くので800を入れてある。こういう時に限って、店の前に店員を並べて撮る、などということになるが、シャッタースピードを1/500くらいにすれば特に問題はない。
日ごろケチケチ撮影をしているが、それでもこれだけ回るとあっさり3ロール撮りきり、現像に回す。
一旦カメラからフィルムが抜けたので、今日は昼過ぎにカメラの修理だ。編集部にはデジカメしかないので、カメラは某編集者の私物を使わせてもらっている。50mmのレンズやクローズアップフィルター、レリーズも彼女のものだが、24mmと露出計はわたしの私物だ。編集部で買ったのは3脚のみ。その私物のF3、フィルム巻き上げのレバーがとれてしまったのだ。
ついでに、無くなった3脚のナット、無くなった露出計の裏プレートを止めている小さなネジ2つ、無くなったレンズキャップなどを買うことにした。
さらについでにこれも某氏私物のEOSのシャッターがおりないというので、それも治すことにした。
レンズキャップは2つで5万ドン。EOSは本体ではなくレンズが悪いというが、動作チェックをしてくれ、と本体ごと預ける。これは30万ドン。F3のレバーはレバーとそれを止める小さな横棒を持っていったが、何か部品が足りないらしく、これが10万ドン。土曜日に修理が上がる。露出計裏のネジは無料サービスで付けてくれた。
三脚のナットはない、と言うので仕方なく金物屋が軒を並べるヤンシン市場へ行く。本当は手で回せるようにつまみの付いたナットがいいのだが、そんなぜいたくは言っていられないので、なんの変哲もないナットとワッシャーを買う。1000ドン。バイク駐車料2000ドンの方が高く付いた。
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●2002年02月26日(火)
2月26日(火)はれ
10時にモデルが来る。セレクション用の写真を持っていないので、デジカメで押さえるからオフィスに来てくれ。と某所から連絡があり、10時5分に行ったらモデルはもう帰った後だった。ないというセレクションの写真を持ってきたので、それを預かって終りになってしまったのだ。
近所に別件で寄らなければならなかったので出かけたのは無駄にはならない。別件に向かう。用事を済ましてコーヒーを飲んでいたら、タイミングよく某社の所長が煎餅持参で現れた。遠慮なくご馳走になる。
スケッチ編集部に行って、広告のサンプルを作る。
8月からのオールカラー化を実現する為と、広告スペースを増やすために、白黒広告を小さなカラー広告に換えてもらうように広告主を説得しなければならない。広告主といっても、レストランオーナーやショップの責任者なので、サンプルを見せて「小さいけど奇麗です。情報も充分入ります」と説明しないと判ってもらえないのだ。
そのために営業からの指令で、1/8や1/12といった小さなスペースにすっきり見栄えのいい広告を作っていく。写真データが白黒しかない場合は、イメージ写真を入れて、なんとか説得力のあるスペースに仕上げる。
そんな作業も2時過ぎには終了。家に帰る。
ジャアク商会仕事、砂糖の調査結果をまとめたり、メールの返事を書いたり、午後の時間が使えるので効率がいい。そのままこの日記に突入した。
今日の写真は食べ物。ご存知、生春巻きだが、写真を見たある人から、こういうのは霧を吹くとぐっと美味しそうに見える、とアドバイスがあった。肉などは油を塗るといい。でも現実にはこれから客に出す商品をちょっと撮影、なんてのが多いので、油はもちろん、霧吹きもままならないのだ。 |
●2002年02月25日(月)
2月25日(月)はれ
土曜日、珍しく予定がない。スケッチの入稿も終り、色稿チェックも印刷屋で済ませて、一番のんびりできる時期だ。
と思っていたら、10時にアポ。新しくできる日本料理屋のメニューの件でオーナーが会いたいというので、出かける。会って話したが、まだ具体的な話にはならない。顔見せといったところだ。わざわざ会わなくても良いようなものだが、日本人の顔を見ないと納得しない日本人もいるので、仕方がない。
どうせ街に出るならもう一仕事、と出がけに膳の石井社長に電話を入れる。パンフレットを頼まれているので、近日中に写真を撮ることになっていたが、日取りが決まっていなかったのだ。3時からということになる。昼飯後、サウナでもいって時間を潰すとちょうどいい、と思っていたらそうはいかない。レストランオーナーと話をしている途中で知り合いから電話が入り、モデルについて聞きたいという。そういうのは得意分野なので、1時に会うことにした。サウナを足マッサージに変更する。
何だか食欲がないので、ハノイスタイルのフォーガーを食い、待ち合わせの場所へ。1時から長々とコーヒーを飲みつつ話す。
モデルを使ってパンフレットを作りたいという話があり、見積もりを作るのだが、ということなので、モデルエージェンシーを紹介しようとしたら、写真はどうしよう、という。6x7で撮るならベトナム人カメラマンを知っている、というと、35mmでいいから撮ってくれないか、という。野外だというので、じゃあポラなしで撮ろう、と話は進み、とうとうファッション写真を撮ることになってしまったぞ。
その後、膳へ行き、スケッチ編集部で借りてきた3脚を立てて写真を撮る。今回はポジフィルムなので慎重に露出を測り、1カットにつき5露出撮る。
バー、座敷、小上がり、店内と撮って、小休止。後は大皿に盛った料理と、炭焼きの焼台なのだがこれは5時頃にならないと準備ができない。
週刊誌を読みながらくつろいでいたら、だんだん暗くなってきた。照明器具を持たないフォトグラファーなので、あまり暗くなるとやばい。特に今回使っているプロビアはISO100なので、昼間でも座敷などは1秒も露光しているのだ。ニコンFは1秒以上の露光はバルブになってしまう。ストップウオッチがないのでバルブ露光はきつい。
石井さんに急いでもらって、4時半頃に光のいい小上がりのテーブルで大皿を撮る。それからまだ燃えている炭を撮り終えたら、3枚フィルムが残った。それじゃあ店員の奇麗どころが客を迎える図を撮ろう、と話がまとまり3枚だけ押さえる。顔に光が当たらないので、人物写真としては失格だが、雰囲気はでたと思われる。
フラッシュ付きデジカメで押さえを撮り、撮影終了。結果は果たして。
今日の写真はスケッチの広告用にとったものの中から、1枚。こんな写真を撮っています。 |
●2002年02月21日(木)
2月22日(木)はれ
昨日は平日だというのに家から一歩も出ずに寝て暮らした。何だか疲れているときに朝寝、昼寝、早寝ができる生活、これが人間らしい生活というものだ。
今日もまた寝て暮らそうと思ったが、世間のしがらみがなかなか許してくれないので、家を出た。出たらなぜか簡単には戻れず、7時半に印刷屋で色のチェックをしてから家に帰る。
色のチェックはベトナム人に任せたいのだが、任せるべきスタッフが専門学校を出たばかりの子供なので、今特訓中なのだ。いろいろ外回りを教えているが、筋がいいので覚えは速い。後1〜2ヶ月で任せきりにできると思う。そうなればだいぶ名刺の肩書き「アートディレクター」に近づく。早くディレクションに専念できるように、今はスタッフを鍛えている。
印刷屋に行っていたので、家に帰ったら8時半だった。一人で夕食を取る。おかずがキムチチゲとラープという、アジアの辛いものコンビなので、ビールが進む。気付いたら犬をからかいながら、ビールかあらブランデー、バーボンと進んでいた。いや、ブランデーのままで良かったのだが、シングル一杯で無くなってしまったので、先日ドンムアンで買ってきたワイルドターキーの封を切ってしまったのだ。
きってしまえば後はとどまるところを知らず、気付いたら結構飲んでいる。そんな状態で文章を書いているので、タイプミスが多くcじっとも進まないのが困りモノだ。
よって(酔って)今日は短いけどここでおしまい。なんちて。
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●2002年02月20日(水)
2月20日(水)はれ
アンコール・ワット4日目はまたぼろカブに戻り、バンテイアン・グデイとタプロームを観る。
前に来たとき、タプロームはもっと荒れ果てていて、しかもそのまま修復なしで保存するとのことだったので、楽しみにしていたが、木の根に絡まれた箇所はそのままだが、あとはずいぶんきれいになってしまっている。
以前は瓦礫を乗り越えて細部を観ていたら、いつの間にか回廊の屋根にでてしまったりしたが、今回は警備員が徘徊していて、やたらなところには入れない感じである。
アンコール遺跡全体がしっかり管理され、遺跡内部での物売りや乞食もいなくなり、ごみも少なくなった。カンボジアが観光資源として大切にし、1日20ドルの拝観料が管理に使われているのは良いことだが、遺跡探検というわくわくするような感覚は味わえなくなってしまった。
今回は行かなかったベンメリアなどの遺跡群はそういう保存の仕方をしても面白いんじゃないだろうか。地雷は撤去されても、地雷注意の看板を残し、所々に小遣いをねだる得体のしれない兵士がいたり、他の観光客が見えなくなるとガイドが青い顔をして、「戻りましょう」と言ったり。そういう状況下での遺跡見物の方がありがたみが増すと思うのだが。
と言うわけでテーマパーク化したアンコールを去り、飛行機でHCMへ戻る。空港の建物に入るとすぐにイミグレーションだ。他の大型機が着いたばかりのようで、20程あるイミグレーションのブースはフルオープンだが、どの窓口にも長蛇の列。
ブース内はコンピューター化が進み、以前より処理は速くなっているのだが、それでもずいぶん時間がかかるものだ。中国人は小さな子供一人ずつがパスポートを持っているので、子供も一人分の時間がかかる。
前方にいたカナダ人の親子は子供のパスポートの期限が切れているのに気付かなかったようで、別室に呼ばれている。問題のあるたびに、係官がブースを出て、別室まで出向くので、入国作業はストップする。
1時間20分かかり、やっと通過。以前はこの後カスタムでも長蛇の列だったのだが、最近は簡素化されてほぼフリーパスになった。
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●2002年02月19日(火)
2月19日(火)はれ
3日目、ちょっと遠出をして、行ったことのないカバル・スピアンに行く。ぼろカブではつらいので、15ドル出してXR250を借りる。これなら相当の悪路でも大丈夫だ。
こんなバイクが借りられるとは思わなかったので、ヘルメットその他の装備は持ってきていない。一番困るのはゴーグル。サングラスでは舗装路は風で、未舗装路は埃で涙が止まらない。
道はバンティアン・スレイまでは舗装路で、そこから赤土の埃舞う未舗装路だ。しかしあっさりとクロム山に到着。雑誌や人の話では「秘境、ガイドも行きたがらない、地雷が埋まっている、1日がかり」などなど。どんなところかと思ったが、今や観光バスで日本のジジババが横付けする観光地である。
山を登っていくと川と滝があり、川底にビシュヌやリンガ、ヨニが掘られている。川底に掘られているのは世界的にも珍しいらしく、期待していたのだが、乾期真っ最中の水量はかなり少なく、ちょっと期待はずれ。もう少し水の多いときだったらもっとよかったのだと思う。
駐車場の茶店で、朝飯の時に包んでもらったサンドイッチの昼食。この辺までくるとインスタントラーメンくらいしか食べるものがなくなるので、これは大正解だ。
XRをとばして、バンティアン・スレイまでもどる。朝、すごい数の観光バスが止まっていたが、昼過ぎのこの時間にはめっきり少なくなっている。
バンティアン・スレイはアンコール・ワットよりも前の時代に造られた遺跡で、壁面に彫られた浮き彫りは、アンコール・ワットよりも精緻である。中心の塔には縄が張られて近づけないようになっているが、後の部分は入れるようになっているし、周りは林が広がっているのでピクニックにもいいかもしれない。離れてはいるが、アンコール・ワットへの入場券が共通で使える。
帰路はゆっくりと走る。アンコール・トムに入り、普段は行かない西門のを抜ける。道は未舗装で、車が通れないくらいに細さなので、観光客の姿はなくひっそりと門が建っている。道は西バライの人工湖につながっているが、途中で左折して待ち戻った。
昼寝の後XRで出かける。ガソリンを満タンにしたのでまだかなり残っているし、明日朝返せばいい契約なのでもう少し走ろうというわけだ。
町の中心を通る道を東に向かって走る。しばらくは広い舗装路だが、やがて道は細くなり、舗装もとぎれた。とはいえ道はまっすぐで、昔は舗装路だったのが痛んで未舗装になっているので走りにくい。こんなにいいバイクが借りられるが、未舗装路はまっすぐだし、山に行けばまだ地雷がありそうで、カンボジアはオフロードランには向いていないのかもしれない。
夕食はオールドマーケット周辺の店でピザ。何軒かある店はどこもメニューにピザがあるが、なぜかは不明。外国人はそんなにピザばかり食べるのだろうか。とはいえ味はかなりよく、値段もそれなりで満足できる。小ジョッキ1杯1ドルのタイガー生をお代わりしつつ、ピザを食べた。 |
●2002年02月18日(月)
2月18日(月)はれ
テトの休みも明け、ベトナム全土が平常に戻った。と思ったら、全然そんなことはなく、よく昼飯に行くスケッチ編集部の向かいの通称「社員食堂」や、勝手に入り込んできては半強制的に注文をとっていくコーヒー屋は、まだ休んでいる。
ひとつには、年に一度の長い休みなので、ゆっくりしたり、田舎に帰ったりするためだが、もう一つの理由に、「営業開始の吉日」がある。
新年の営業開始に、よい日を選ぶのだが、これがカレンダーとうまく合わないので、店がなかなか開かない、ということが起こるのだ。
一般のオフィスも吉日を選んで営業開始をするが、こちらはあまり休んでいてはいろいろ問題があるので、たいてい前倒しで開く。テトの休み中でも、吉日に数人の社員が出社して、形だけ営業開始をするのである。だからふつうのオフィスは月曜日からきっちり開いている。
旧歴2日(13日)から、アンコールワットに行った。
ついて早々に失敗を発見。今回はニコンで写真を撮ろうと、レンズを2本持ってきた。24mmをメインにして、押さえに50mmを持ってきたつもりだったのだが、なんと50mmが2本入っている。スケッチ編集部にある50mmと24mmを取り違えてきてしまったのだ。
ちょっとへこんだが、こうなればしょうがない。今回は50mm1本勝負と割り切ることにした。
町でぼろいカブを借りる。1日7ドル、これで自由に行動できるのだ。
まずはチケットのいらないクロム山に夕日を見に行く。山の下にバイクを止めて階段を上がるが、実は回り込めばバイクでも上がれるのだ。にわか駐車場になった路上喫茶の兄ちゃんが駐車代欲しさからか、バイクで行けないというので歩いてしまった。
山頂には3つの塔が建っていて、トンレサップ湖に沈む夕日が見えるのだが、夕方、西の空に雲がかかってしまい、夕日はかなり上空で雲に隠れてしまった。
次の日から3日券を買って、まずはアンコールワットへ。一通り見て表参道を門へと向かっていたら、向こうから手を振りながら近づいてくる人がいる。mik
adのクライアント様、Tacaの佐藤さんと友達のマークだ。お互いにアンコールワットへ行くのは知っていたが、まさかばったり会うとは。夕食の約束をして別れる。
それからバイヨンへ行く。前回来たときは修復中できちんと見られなかったのだが、やっと全体を把握することができた。その後象のテラス、王のテラスを簡単に見て、昼食のため町へ戻り、食後は昼寝。炎天下での遺跡見物はゆっくりペースで行かないと、疲れてしまう。
4時頃起き出して、他の遺跡を回り、バケン山へ。徒歩に加えて象の背に揺られて山を登れるようになっているので、チケットを買う。一人15ドルだ。象に乗ってゆっくりと山頂に出たら、山頂中を埋め尽くすような人出だ。前回来たときも夕日を見に上ったが、その時は山頂に30人ほどの人がいただけだった。
残念ながら夕日はまたも雲に隠れてしまった。徒歩で下る途中、遺跡の横で2部合唱をしている日本人の団体がいる。ちゃんとハモっているので、練習済みのようだが、なんでこんなところで夕日を見つつ合唱してるのだろうか?宗教団体だといやなので関わらずに山を降りた。
夕食は佐藤さん、マークとともにインド料理へ。すごくまともなおいしいインド料理であった。 |
●2002年02月12日(火)
今日は旧暦1月1日。ベトナムは週末から正月モードに突入している。
そんな中、なんとか正月前に最終校正版を作りたいスケッチスタッフは日曜日にも仕事をした。夕方から身体の調子が急低下したが、そのまま仕事を終えて、帰宅。昨日は発熱と下痢で寝込んだ。
熱は下がったが、まだ完全ではない身体で新年を迎えた。一年に2度あると新年のありがたみはすっかり薄れ、旧正月はもはや単なる休日でしかない。せっかくの休日なので、アンコールワット詣をするつもりだが、体力の落ちた身体で、炎天下のアンコールに耐えられるだろうか。
前回アンコールワットに行ったときは、東洋のモナリザといわれるバンティアンスレイはまだ危険地域で、足を踏み入れられなかったが、今では観光客で溢れ帰り、柵の外から遠巻きに観るしかないようだ。
それでもバンティアンスレイやカバールスピアンには足を伸ばしたいところだ。
アンコールワットではしばらくぶりにニコンで写真を撮るつもりなので、いい写真が撮れたら美術館に発表しよう。
写真といえば、最近はすっかりスケッチの広告写真担当になっている。
先日はあるバーの写真を撮りに行ったが、窓のない店内は、昼なお暗い。夜落ち着いて酒を飲むのにはいいのかもしれないが、昼間足を踏み入れると何だか違和感がある。
長いカウンターが写り込むように三脚を立てる。ストロボは持っていないので使わない。暗い場所の露出を測るが、セコニックの針は全く動かない。つまり計測不可。
困ったが、撮らないわけには行かないので、被写界深度が充分取れるように絞りを8にして、カメラのシャッタースピードをTやB以外の一番長いものに合わせた。8秒である。動くものがあるわけではないので、何秒でもいいのだ。
8、4,2,1,1/2と5カット撮って終了。だめなら再撮すればいい、と割り切る。ちなみにフィルムはISO400だ。
結果、8秒と4秒のカットがそれなりに写っていた。広告なので明るめの8秒の方を使うことにした。頻繁に写真を撮るようになると、それなりの勘も働くようになるのだ。
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●2002年02月07日(木)
テスト一回目。
こんな感じでいけるかな。
画像はネット上で見つけたBSAゴールデンフラッシュ。
家のもこんな塗装にしようかな。
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●2002年02月06日(水)
日曜日に仕事がたまっているのにクマプー邸へ。2人乗りファルトボート2艇の進水式である。クマプーのフランス製の新艇は組み立てられて、カナダ製の旧艇の横に置かれている。初めて会う、ピエールというベルギー人がモーターボートに自作の木製のカヤックを積んで、川伝いにやって来た。
やがてクマプーの会社の出張者、ブルースハープの名手、フレッドも来る。彼はかなり背が高い。おやじさんはプロバスケット選手だったとかで、本人も腰を痛めるまではバスケットをしていたそうだ。
冗談を交わしながら、中村さんを待つ。そもそも9時と言い出した本人が10時になっても現れない。電話があり、渋滞がひどいと言っているが、真相は不明である。
10時半頃、モンベルの2人乗りを担いで中村さんが現れ、早速ボートを組み立てる。全部の舟を川に卸して、新艇にシャンパンならぬビールをかけ、進水式は終了。2人艇は一人乗り仕様にしてあるので、4人がカヤックに乗り込み川を下り始める。
わたしはピエールの運転手付きモーターボートで伴走だ。すぐにフレッドが沈。サイゴン川の水に沈なんて、気の毒な奴である。
パドルで漕ぐよりモーターボートの方が楽だと思ったが、カヤックのスピードに合わせて伴走するので、日差しを浴びるだけで、風はない。写真を撮るが、望遠レンズがないので、ちょっと離れるとカヤックが景色に埋もれてしまう。
そうこうしているうちに、かなりの距離を進んでしまった。昼過ぎに中村さんが、
「上陸して帰らないとダナン行きのフライトに間に合わない」
と言い出した。
中村さんもわたしもどこまで漕ぐのか知らなかったのだが、どうも下流にあるピエールの家まで漕ぐのが習わしらしい。
中村さんは間近に見える1号線に上陸してバイクタクシーで帰るというが、結局ピエールのモーターボートでクマプー邸まで送ってもらうことになった。
空いた中村艇に代わりに乗り込む。パドリングは久しぶりだが、すぐに感覚が戻ってきた。しかし川の支流に入り、流れが逆になってしっかり漕がないと進まない。このあたりは上流から下流に水が流れるわけではなく、潮の干満に影響されるのである。
みんなも逆流を漕ぐ気はないらしく、中村さんをおくって戻ってきたモーターボートで細いクリークまで舟を曳く。そこからはちょうどホッパーズのジャングルランのように、細いローカルクリークを漕いでいくのだ。モーターボートとはここでお別れ。モーターボートは別ルートの深い水路を行くらしい。
干潮のピークらしく、細いクリークはかなり浅くなっている。喫水の浅いピエール艇が先頭で進む。ピエール艇はなんとか進んでいるが、体重の重いクマプーとフレッドの艇は底をすって進めなくなる。仕方なく引き返し、少し深いクリークへ迂回する。
ところがすぐにホテイアオイの大軍が倒木に引っ掛かって水路を塞いでいるところに行き当たった。ピエールが舟を降り、ホテイアオイを徒歩で越える。5m程でホテイアオイが終わるので、みんなも越えよう、ということになり、一艇ずつ舟を引っ張る。
その後、流れに逆らってクリークを進む。クリークが曲がりくねっているので、まっすぐ進んでいるつもりでも横から流れを受け、その度に方向転換をしなければならない。そうするとせっかくついてきたスピードが損なわれるので、また力を入れて漕ぎ直しだ。
やがて広い水路に出、さらにしばらく漕いだら、懐かしのモーターボートが岸に舫われているのが見えてきた。そこがピエールの家と工場だ。上陸してビールを一気飲み。
ピエールの家具工場の隅にある舟制作場を見せてもらう。カヤックのほかにも4〜5mの深底の舟や、10mくらいの大きな船も製作中だ。
帰りはモーターボートにカヤック3艇を積んで、川を上る。サイゴンの街中を抜けて20分ほどでクマプー邸に到着した。 |
●2002年02月04日(月)
次の日は、だしパックの営業に行く玉ちゃんと別行動。マッサージや買い物に行って、ホテルに戻ろうとしたら2時40分。3時にホテルで玉ちゃんと待ち合わせてパンテイップに行く予定だったが間に合いそうもないので、電話をかける。
だが、何度やっても公衆電話がうまく使えない。どうも市外局番を回さなければならないようだが、ホテルのカードに市外局番が書かれていないので、分からないのだ。
仕方なく電話ボックスの外を通りかかった人に聞く。タイ語で聞けないので、英語で聞いたら、結構上手な日本語で親切に教えられた。
電話が通じて、待ち合わせをやめ、パンテイップには一人で行くことにした。玉ちゃんの必要なソフトもついでに買えばいいのだ。
パンテイエップではマック屋のソフト担当が飯を食いに行っていて、1時間、ソフトを注文してから1時間と待たされ続け、結局ホテルに戻ったら6時だった。
留守中にジャアク商会対馬支局の奥野から連絡があったらしい。玉ちゃんは仕事関係の人と勘違いして、めちゃくちゃ馬鹿丁寧な対応をしたら、奥野も訳が分からなくなり、会話がうまく成立しなかったようだ。わたしも奥野と面識はないが、そんなことにかまわず電話をする。
中華街の屋台で飯を食うことになり、タクシーで乗り付ける。カニのカレーソースと鯖がうまい。たらふく食ってタクシーに乗りパッポンヘ。ミズキッチンに行って藤井に行き先を伝言することになっているのだ。
ミズキッチンで一杯飲んだ後、このメンバーで行くところはハードロックおやじのところしかないので、藤井への伝言を託しておやじの元へ向かう。
程なく藤井がマダム郁美を伴って登場。そういえばミズはマダムの行きつけだった。
しばらく騒いだ後、マダムはムッシューのいるミズへ戻り、ジャアク商会の一行はさらにハードロックのリクエストをする。そのうちフィンランド人の乱入があり、それを玉ちゃんに任せてmikは踊り出すのだった。
やがて奥野が行きつけの、もとHRおやじのいた店へ行こうというので、店を変える。踊り疲れたので、次の店ではおとなしくしていようと思ったら、常連の外人が上半身裸で踊っている。
総帥の負けるな!という命令で再び踊り始めたが、もうビールは飲めないので、カウンターの中から勝手にソーダの瓶を失敬して飲む。
仕舞いには、総帥の「ステージに上がれ」の声で、ステージに乱入して踊り狂ったのであった。
その後閉店したミズキッチンに戻り、4時まで飲む。まだまだ元気なマダム一行を置いて、我々は帰路に就いたのだった。 |
●2002年02月01日(金)
バンコク、ジャアク商会リージョナルミーティング編
その3
いつものハードロックゴーゴーバーだが、なぜかハードロックがかからない。原因はハードロックをかけまくるDJ、通称「ハードロックおやじ(HRおやじ)」が他の店に移ってしまったからのようだ。藤井総帥が「ちょっと捜してくる」といって店をでた。
さすがはパッポンの主、10分ほどでHRおやじの居所を発見して戻ってきた。向こうの店へ行こう、ということで、ビールをぐっと飲み干して、店を移り、DJブースの脇に陣取った。この席は柱が邪魔でゴーゴーを踊るお姉ちゃんが見えにくいが、おやじにすぐにリクエストできるのでいい。他のメンバーの胸中は不明だが、わたしゃあ姉ちゃんを観るより、音楽を聴きに来ているのでこれでいいのだ。
ハードロック好きでは人後に落ちないマレーシア支局長、玉田米二郎がディープ・パープルのバーンをリクエストした。盛り上がる我々、だがステージ上ではお姉ちゃんたちが、全く踊れずに立ちすくんでいる。
総帥と玉ちゃんは明朝仕事なので、12時前に切り上げてホテルに戻り、ロビーで本格的にリージョナルミーティングを始めたら、止まらなくなって、寝たのは結局2時であった。
翌朝ゆっくりと朝寝をして、ゆっくりと朝食。クマプーは2時の飛行機でベトナムへ帰る。その前にちょっと買い物、というので11時頃にホテルを出ようとしたら、撮影隊一行が戻ってくるのに出くわした。
みんなで部屋に引き返す。玉ちゃんもこれで仕事が終わり、後は藤井が夕方の撮影と明日のアテンドを残すのみとなった。マレーシアモデルのアニータ嬢はバンコクに何度も来ている国際派なので、一人で放って置いても問題ない。クマプーのタクシーを見送って飯を食い、買い物に行くアニータ嬢と玉ちゃんと3人でタクシーで移動する。
アニータ嬢をマーブンクロンで降ろし、我々は近くのホテルにチェックイン。今まで1800バーツの部屋にいて、急に790バーツのホテルに移ったので、チープ感は否めない。もっと安いホテルもあるが、ツイン使用なら一人400Bを切るし、場所がBTS駅のすぐそばだからこれでいいのだ。
シャワーの後コンピューターソフトを買いにパンティップへ行く。玉ちゃんもマックユーザーなので、マック店を目指したが、日曜日だからか2店とも閉まっていた。
夕方、仕事で知りあったスーさんに連絡をして、食事に行く。藤井のモバイル日記、スーさんのバンコク駐在日記共に出てくる「感」という日本食屋に、玉ちゃんの主力商品「出しパック」の営業も兼ねて連れていってもらった。
シックなインテリアに夢二の複製画やタイの焼き物、ベトナムのアンナン焼、セラドン、バッチャン焼の骨董品が並ぶ博物館みたいな店で、ディスプレィを観賞するだけでも興味深い。その上こだわりのシェフが作る料理がまたいい。さらに値段もぐっとよく、財布には厳しいが、充分に堪能した。
食べ終わって、そろそろというころに藤井から連絡があり、これから合流するというのでしばらく待つ。スーさんと藤井は他にも共通の出入りの店があるのだが、初対面だ。
これまた音楽好きのスーさんに、生バンドのお勧め店を聞くと、日曜日は品薄、といいながら「サクソフォンバー」に連れていってくれる。以前ジャアク商会髭の黒幕と来たころはアマチュアバンドの店という印象だったが、今では市内でもトップクラスのバンドが集まっているそうだ。
そこで音楽を聴きながら酒を飲む。2つ目のスカバンドがすごくいいが、明日仕事のある藤井とスーさんは2-3曲聞いて帰宅した。我々はさらに30分ほど粘って、ホテルに戻った。
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