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三日堂ベトナム情報局

執筆担当
ジャアク商会ベトナム支局長
石原文春


2002年7月のバックナンバー
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●2002年07月31日(水)

7月31日(水)はれ

 ベスパの始動のコツをつかんだようで、本日は絶好調。エンジンを止めてしばらく経ったら、チョークを引けばいいことが分かった。
 チョークは先日修理したが、その後も調子はいまいち。と言うのもワイヤーを止めるストッパーからワイヤーが外れるので、チョークレバーを引いてもチョークがかからない状態だったのだ。それを先日のキックペダル交換騒ぎの時に、ハンマーで無理矢理ひっぱたいてワイヤーが抜けないようにした。それからチョークがちゃんと作動するようになったのだ。
 走行中、ギアチェンジをすると、よくギアが抜ける。ベスパのギアは左手で操作する。知らない人のためにちょっと説明すると、左手で普通のバイクのようにクラッチレバーを握ってクラッチを切る。その後普通は左足でギアを変速するが、ベスパはそのまま左手を捻ってグリップを回転させてギアを入れる。
 手前に回してロー、向こうへ回してニュートラル、更に2,3,4となっているが、これが入っているのかいないのかかなり微妙なのだ。ローや4は無理矢理回しきってしまえば入るので問題はないが、ニュートラルと2,3はほとんどカンと神頼みだ。うまくいくときはすんなり入って、ついにコツをつかんだかと思うが、すぐにうまくいかなくなり、どのギアに入っているのかさっぱり分からなくなる。
 それでも、とにかくエンジンがかかるようになり、ふけ上がりもまあまあなので、加速はとろいものの、おばちゃんカブには負けずに走行できるようになった。
 ベスパ好きの日本人に会うたびに意見を聞くが、みんな異口同音にベスパの50はよく壊れる、調子が悪い、雨が降ると動かない、やめた方がいいですよ、150ならいいですけどね。と言う。それらの意見と,結構調子のいい現物にギャップがある。
 このギャップを楽しむためにも乗り続けるか、みんなの意見を素直に聞いて購入を延期するか、どうしたものか、という状況がなんだか楽しい今日この頃である。

●2002年07月30日(火)

7月30日(火)くもり

 スケッチ編集部に日本からやってきた新人(と言ってもいい年のオジだが)がマックとウインを繋ぐソフトを持ってきてくれたので、最近は我がiBookが編集部のネットワークに加われるようになった。
 これは便利、と毎日iBookを持ってきている。そのためにもベスパは必要だ。あ、ベスパの話はあとでするとして、まずはコンピューター。
 ネットワークは100B/TXなので100Mを越えるようなファイルでも10秒ほどでコピーできる。今までは32Mのメモリースティックを、他人の仕事のじゃまをしながら抜き差ししてデータを移動していたのだから、かなりの進歩だ。
 その他、PDFを作るべくアクロバットというソフトも買ってきて貰った。インストールはしたが、使い方が分からない。しかし時代はPDFを要求しているようなので、そのうちいやでも使わなければならなくなりそうだ。
 IBookを毎日持ってきても、今はまだそんなに忙しくない。今日も主な仕事は、午前中に2箇所写真を撮ったら終わり。まだコンピューターをガンガン使う時期ではないのだ。
 そこでこうやって編集部で日記を書くことができる。なかなか有効な時間の使い方である。

 今日は復活したベスパで出勤。朝のキックはチョークを引いて10回くらいだった。前よりもかかりやすくなってきた気がする。エンジン部分をガンガンたたいたからではないだろうが、高速の伸びがよくなった。
 それにしてもベスパに乗ると雨が降らない。だから雨の中で調子よく走るのかどうか未だに分からないのだ。

 クマプーがなんの貢献もしないまま、幹部に復活。今後の活躍が期待されるところだが、いきなりかなり嘘の多い文章を書いている。ここで真実をすっぱ抜くが、実は問題の「秘蔵写真」はミャンマーの写真ではないのだ。ミャンマーの写真なら、じゃあくHPのどこかにアップされているし、家のどこかに今でもひっそりと保管されている。
 では「秘蔵写真」とは何か。本人の告白を待とう。

●2002年07月29日(月)

7月29日(月)あめ後はれ夕方あめ

 日曜日にベスパのキックペダルを買うつもりだったが、一日中雨で外に出る気がしないので中止。だから今朝もBMWで出かけた。
 折れたキックペダルを持って、同じのを探せば簡単だ、と思い、編集部の専属セオムドライバー、ミンに頼む。ところがヤツは、あちこち探して、チョロンまで行ったがなかった、と手ぶらで帰ってきた。
 そこで以前ベスパを日本に輸出していた知人に電話をして聞くが、彼の専門は150ccなので、調べないと分からないという。更に現在もベスパを直して売っているという、本業は日本語ガイドのベトナム人に聞くと、ある修理屋を紹介する、と言って編集部まで来てくれた。
 ベスパの型番を聞かれるが分からないので写真を見せたら、自分も同じのを持っていると言う。それなのにヤツの乗っているのは150cだ。一抹の不安を覚えつつ、さっそく路上のベスパ専門修理に行く。
 とある路上でベスパを修理中のオヤジは、いまは在庫がないと言う。困ったな、と思っていたら、ガイドがそばに停めてあったベスパを指してなにやら指示。するとオヤジはそのベスパについていたキックペダルを外してくれた。どうやらそのベスパもガイドの持ち物で、とりあえずこれで間に合わせろと言うので、ありがたく使わせて貰う。5万ドンで譲り受ける。
 ちなみにその50ベスパ、OH済み300ドル、彼が乗っている150は千ドルとのこと。始動時はチョークを引く、雨の日でも問題ない、など貴重な話も仕入れた。
 家に帰って、早速ペダルの交換。路上修理屋がいとも簡単にペダルを外したので、すぐにすむだろうと思ったがかなり手強い。ナットを外して軽くたたくが、折れた根本は一向にはずれそうもない。割れ目を広げる、CRCを吹き付ける、いずれも効果なし。ベスパのキックペダルは後輪とエンジンの間に取り付けられていて、奥へ、つまり後輪側へ押して外すようになっているのだ。操作性はかなり悪いが、考えたらそんなに何度も取り替える部品じゃあないから、これでいいのだろう。
 あきらめて、近所のベスパ乗りのオヤジに応援を頼む。彼は車のメカニックで、「キックペダルを買ってきたら交換してやる」と言われていたのだ。ところがそのオヤジも大苦戦。路上修理屋は本当に簡単に外したが、オヤジはまず後輪を外して反対側からアプローチできるようにした。それでも苦戦は続き、3人で小一時間あれこれやって、やっと外れた。
 一安心もつかの間、今度は新しいのが入らない。切り欠きのあわせが微妙で難しいようだ。押したり、引いたり、たたいたりしてやっと装着する。装着前にオヤジが指摘したが、新しいキックペダルも粗悪品で、すでに亀裂が見られる。どうやらこいつら、ベトナムで溶接再生しているようだ。大型バイクのつもりで強く蹴るとすぐにパキッといくに違いない。
 全部組み終わってエンジンをかけるが相変わらずかかりにくい。3人で何度もキック。チョークを引いたり、戻したりいろいろやっているうちに、エンジン復活。これは果たしてこんなものなのか、それともコツがつかめていないにか、さっぱり分からないのだ。

●2002年07月27日(土)
7月27日(土)はれ

 2〜3日絶不調で、日記が書けなかった。熱はないものの下痢と腹痛、脱力感で家ではただ寝るばかり。食欲もなく、これはきっと猫と同じ病気で、メシが食えないままそのうち死ぬんじゃあないかと思った。砂糖水で生きながらえなければならない、と本気で考えたが、なんとか復活した。とはいえまだ時々胃が痛む。
 高級フランス料理に胃が順応しなかったのかと思ったが、どうやら原因は食い過ぎや食中毒ではなく、他の病気のようだ。食い過ぎなら一日食べなければ直るし、食中毒ならひどければ嘔吐や発熱があるはず。
 
 ベスパを引き取ってきた。一週間乗ってよかったら買ってください、というので金はまだ払っていない。50ccなのでかなり非力で遅いが、市内走行ならこれで十分だ。
 困ったのは始動性の悪さ。朝は50回くらいキックしないとエンジンがかからない。チョークが戻りきっていないのでかぶり気味なのかもしれない。修理に行きたいがどこへ行けばいいか分からないので、メシのついでにルナカフェのマスターに聞いた。いつも店に前にベスパやランブレッタが停まっているので、詳しいとふんだのだ。
 案の定、すぐに教えてくれたが、同時にベスパの50は雨に弱いという情報も。雨の日用に買ったのに雨に弱いんじゃあ話にならない。ちゃんと整備すれば直るんだろうか。
 とにかく修理屋へ行ってチョークを直す。1万ドン。確かに始動性がよくなったような気がする。
 帰りにガス欠で止まってしまい、道ばたでガソリンを買おうとしたら、オイルがないという。2サイクルの混合給油なのでオイルがないとまずいのだ。仕方なくしばらく押して、オイルもある店に行った。こういうときは不便だが、いざというとき手軽に押せるので安心だ。その後すぐにガソリンスタンドで満タンにした。3.3L入ったのでタンクは4.5Lくらいなのだろう。3Lに対し30ccオイルを入れるようだ。
 そして今朝、エンジンをかけようとするがやはりうまくいかない。キックを繰り返していたら、なんとキックペダルが折れてしまった。こうなると修理か押しがけなのであきらめBMWで出かけた。
 左手で入れるギアはどこに入っているのか分からないし、瞬発力はないし、スピードも出ないけど、コンパクトな車体で荷物が積めて、座席の下に合羽が入るのはなかなかいい。50ccは免許がいらないので警察と揉めないのもいい。これで始動性がよくて雨でも走るのなら買いなんだけど。

●2002年07月24日(水)

7月24日(水)はれ夕方こさめ

 ○○○○というフレンチレストランに取材、撮影に行った。街の中心から少し離れているが、誰に聞いても市内で一番うまいフレンチという評判の店。
 コースを一品と肉と魚を一品ずつ、それにレバー料理と生牡蠣の日本風というのをオーダーする。前菜にホタテ貝が出る。こんなのオーダーしたっけ。まあいいや、と食べる。うまい。ホタテって普通は妙な癖があったり、堅かったりするがここのは絶妙だ。
 その後出てくる料理みんなうまい。特にすごかったのはステーキ。かなり大きな骨付き肉がミディアムレアに焼かれ、5ピースに切り分けられている。オージービーフとのことだが、オージービーフってこんなにうまかったっけ。柔らかく、そのままでも、付け合わせの玉ねぎやマスタードと一緒でも、うまい。
 とても全部は食べきれず、残してしまった後で、デザートが来た。洋なしのワインソース煮。洋なしの歯ごたえと味の後にシナモンが微妙に舌に残る。ババロアはオレンジ色のソースの周りに赤いソースで、色鮮やかな一品。シャーベットもうまい。だがここのスフレはすごい。これを食べちゃうともう他ではスフレは食えないなあ。このためだけに通ってもいい味である。

 夕方クマプーから連絡があり、ライオンビアガーデンで一杯引っかけてから帰るという提案があった。なんだかパブに寄ってから家に帰るイギリス人になった気分でライオンへ。広い店内を見渡すがクマプーが見えない。
 店内はざわついているので、一度外に出て電話をしたら、カウンターにいると言う。カウンターなんかあったっけ?と思い再度入店。カウンターはちゃんとあった。
 カウンターで黒ビールの小(300ml)を頼み、塩豆をつまみながら飲む。ついつい2杯目もオーダーし、1時間ほど話してお開き。ビール2杯で3万4千ドン。こういうのもたまにはいい。これで仲間が集まるようになると、毎日通っちゃうんだろうなあ。イギリス人の気持ちがよく分かる。

●2002年07月23日(火)

7月23日(火)はれ

 この前「蔵」のオープニングパーティに行って包丁式を見たことは書いたが、その時店内を見せてもらって、広間に新しい畳が敷いてあるのを発見。オーナーにどうしたのかと聞いたら、作ったという。
 家に4畳半の畳スペースがある。あるレストランが新装オープンの時に、畳の間を板の間にするというので貰ったものだが、なにせ本物の畳ではなく、中は発泡スチロールなので傷みも早いのかすでにかなりのボロ畳みだ。
 しかし畳屋があるわけでもないから、新しい畳を調達するのは簡単ではない。もっとボロくなって、どうしようもなくなったら畳をやめて板の間にござを敷くか、一段高くして掘り炬燵、またはいろりでも切ろうかと思っていたが、調達のめどがついた。
 しかも本来は1畳70ドルだが、今ならたまたま予備があるから安くする、というので、4畳半分分けて貰うことにした。値段はまだ聞いていないが、これで掘り炬燵はしばらく延期になりそうだ。

 雨の日用のベスパを買うことにした。今年はものを買う、と元旦に誓ったので、三日坊主にならないよう、少しでもチャンスがあれば買う姿勢を崩さないのだ。それにこれがあれば総帥がベトナムに来たときなどちょっと乗れるので便利だろう。それでセオム代を浮かせて、膳で飲み食いすればみんながハッピーだ。
 きれいなパステルブルーに塗られているので、ものが来たら写真公開しよう。

 日本からコンピューターソフトを買ってきて貰った。ウインドウズ用を頼んだはずが、手違いでマック用が届いてしまった。ATMというフォント管理ソフトと、アクロバットというPDF製作ソフト。今なら原価でおわけします。誰か買ってください。

●2002年07月22日(月)

7月22日(月)はれ

 先週じいさんの所へBSAを持っていった。ブレーキのレバーを止めるねじがバカになって抜けてしまったのと、オイルの漏れが止まらないのと、排気に黒いガスが混じり、時々黒煙となるのとを少しでもなんとかしようと思ったのだ。
 ところがじいさんはいない。夕方変えるというので、とにかくバイクを預けた。今朝寄ってみると、ブレーキレバーはきちんとねじ止めされ、オイルはドレインのパッキンを交換し、オイル自体も交換してあった。切れたパッキンや交換済みの汚れたオイルがとってあって、それらを見せながらの説明なので、わかりやすい。
 排気は両方のマフラーの先の部分、サイレンサーがはずされていて、これが重いと言う。つまりすすが溜まっているということらしい。こいつを交換するので10日かかると言う。
 交換はいいが、古いサイレンサーをとって置いてくれ、と言うと、これはベトナム製だからとって置いても意味がないと言う。そして接合部のねじの部分や裏側の溶接の部分を見せてくれる。その作りの悪さはオリジナルじゃあなさそうだ。あれれ、買ったとき売り手はねじ一本までオリジナルと言っていたが、どうやらあれは大嘘だったようだ。

 ちょっとスクーターに乗る機会があり、その良さを見直した。以前は両膝の間にタンクがないようなバイクはニーグリップができないので不安だったのだが。サイゴンの街のスクーターがいい。雨が降ってもベトナムのポンチョ式合羽をかぶれば足も濡れないし、足下に荷物も置ける。
 そこでベスパの50ccを買おうかと思案中だ。完動品できれいにパステルツートンに塗られているのが300ドルなのだ。そこで土曜日に試乗に行った。
 しばらく動かしていなかったとかで、最初は押しがけから始まったので、ちょっと不安だったが、その後はキックでエンジンがかかるようになった。走りもそこそこでブレーキの一応ちゃんと利く。左手で回転式に入れる4速ギアーが、いまいちどこに入っているのか分からないが、ベスパの50はみんなこんなものらしいので、それもよしとしよう。
 つまり悪いところはないのだ。やはりこれな買うしかないかな、と思っているところである。
 

●2002年07月19日(金)
7月19日(金)くもり

 スケッチの入稿が終わって一段落。暇になったので、病院に行くことにした。
 額にできものができて、前から気になっていたのだが、先がニキビ状に開きはじめて更に気になる状態がしばらく続いた。
 そのうち直るだろうと、放っておいたが、一向によくならないので、皮膚科に行くことにした。
 行ったのはローカルのプライベート病院。公立病院は格安だが、3時間はかるく待たされるので、プライベートに行ったのだ。行くと待合室に10人ほど人がいたが、すぐに病室に通されて診察。
 医者は、これは細菌性のできもので、放っておくと他の場所にも発生するから、レーザーメスで切る。と言う。そしていきなり手術が始まった。
 ベットに寝かされ、レーザーメスの機械がどこからか運ばれてくる。電極のステンレス板を右のふくらはぎの下に入れられる。と言うことは体の中を、頭から足まで電気が通るということ。かなり気持ちが悪い。ベトナムは220Vなので、もろに食らうと感電死するかもしれない。いやだ。思わず足を揚げたら、元に戻された。
 麻酔注射を打たれ、レーザーで皮膚を焼いていく。痛みはないが、皮膚の焦げる異臭が鼻を突く。あまりうまそうな臭いではない。歯医者で歯を削るときの臭いに煮ている気がする。
 こめかみの上にも小さなのができている。そっちは薬を塗るだけじゃあだめか?と聞いたが、受け入れてもらえず、麻酔が打たれ、またレーザーで焼かれた。
 その後は風呂も問題ないし、なにも気を遣う必要はないらしい。通院の必要もなく、10日ほどで古い皮膚がはがれきれいになると言う。今はまだ焦げた○が額に張り付いている。
 総額15万ドンであった。
 
 昨日は割烹「蔵」のグランドオープニングがあり、出かけた。50人ほどいた招待客の内に知っている人は3〜4人。あまりいろいろな人と話の弾む状況ではなかったが、何人かと長く話仕込み、結局最後近くまで店にいた。
 料理はジュンサイや抹茶豆腐などの珍しいもの、天ぷらや煮物、寿司などだったが、天ぷらはつゆではなく、塩と抹茶を混ぜたもので食べるスタイル。野菜の煮物もいい出汁で煮てあるのが分かるやさしい風味で絶品。
 それもそのはず、板長の西山さんは日本で板前連盟(正式名称不明)の理事をしていたという達人で、包丁式なるものも披露。これは包丁と肴箸を使ってコイを裁く儀式で、初めて見た。
 店を出て、すぐ近くのクーロンバーへ行き、軽く飲んで帰宅。キッチンでぎんチャンがぐったりと寝ている。元気になるように息を吹きかけてソファーにそっと寝かせた。それなのに今朝、ぎんチャンは死んでしまった。少しものを食べるようになったのでだいじょうぶだと思ったのだが、その後また全然食べなくなり、ビタミン注射やお粥を無理矢理食べさせたりしていたが、ドンドン痩せて弱っていくのが分かった。これはだめかもしれない、と思っていたら、とうとう死んでしまった。かわいそうなことをした。

●2002年07月16日(火)

7月16日(火)はれ一時あめ

 締め切りが過ぎているのに、広告のサイズが違う原稿があったり、それを直すの、古いのを使うの、掲載は取りやめだの、ころころ意見の変わるクライアントがいたりして、ばたばたとした一日だった。
 最後には、とりやめ、となったが、いまさらやめられても困るので、それはできないと強く突っぱねたら、古いのでいいと言うことで決着。
 先日、プロのカメラマンに用品の店を紹介してもらったので、出かけた。用品の店といっても、一見普通の(と言うか普通以下にこ汚くごちゃごちゃしていて、カメラ関係以外のものも売っている)カメラ屋なので、知らないと気づかない店だ。
 その店で、レリーズを見せてもらう。普通のより短くいが、FGに装着してシャッターを切ったら作動するので、買うことにした。3万ドン。この前返品して7万ドン返してもらったので、4万ドン得をした。
 それから念願のレフ板があるかどうか聞く。ある、と言うので見せてもらう。丸い形状のレフ板で、畳むと直径30cm位になる、表がぎんレフ、裏がしろレフの優れもの。これが欲しかったのである。1つ13万ドン。個人用と編集部用に2つ買う。
 その後撮影が入らないので、まだレフ板の活躍の場がないが、照明器具をつかわないので、レフ板は強力な武器になるはずなのだ。早く使ってみたいものである。
 久しぶりにBSAに乗って昼飯へ。ルナカフェの前に停めて置いたら、フリーカメラマンの園くんが、「バイクでわかりましたよ」と店に入ってきた。彼はカメラもマニアックにたくさん持っているが、車やバイクもたくさん持っているモノ好きな人物。今は自転車にエンジンをつけたようなバイクに乗っているらしい。
 そういえば朝、ヤマハのマジェスティというスクーターに乗った白髪の白人にも声をかけられた。マジェスティはがたいが大きいので、ベトナム人や日本人が乗ると、やくざがベンツに乗っているような下品さがあるが、ヤツは大柄なので、おしゃれに乗りこなしている。そいつが、信号待ちで止まったときに、知ってか知らずか、「なかなかいいバイクだねえ」という。
 やっぱりセンスの良さ、分かるヤツには分かるのである。

●2002年07月15日(月)
7月15日(月)はれ

 スケッチの入稿が近づいてきて、だんだん忙しくなってきた。昼飯にも行かず弁当の出前をたのんで、食い終わるとすぐに作業の続きをするという感じだ。とは言っても今日あたりはまだそんなに大詰めではないので、余裕があり、7時には帰宅。
 ぎんチャン2が少し元気になった。が、未だにメシをほとんど食べない。そこで今日はビタミン注射をして、体力の低下を防ぐ。
 未だにちび猫はフーっと怒るが、それでも1m位までは近づくようになってきた。犬はぎんチャンの方がだめで、必死に毛を逆立て、爪を立てる。犬にはずっと慣れないかもしれない。

 スケッチ次号は8月号。いよいよオールカラー化だ。それに伴い、半年以上前から白黒広告のクライアントには話をし、カラーのサンプルを提示し、値段の交渉をしてきた。実質値上げなので、予算的に苦しいと、掲載を見合わせるクライアントもあったが、それほど大きな混乱もなくカラー化となりそうだ。
 それほど大きな混乱もなく、というのは実は問題が3つほどあったのだ。3つ全てが日本人のおじさんがオーナーの飲食関係店。発刊当時から広告を載せているのに、今になって勝手にカラー化して値段を上げるとはけしからん、という気持ちはよく分かるが、それでごねられても困る。
 新装開店したり、新メニューにしたりして飲食関係もメニューの値段を見直すことがあるが、今回はそれと同じだ。それを「前はラーメンが300円だった。俺は300円のラーメンしか食わない。なに、冷房を入れて新装開店?冷房なんざぁいらない。切れ、切れ」と言われても…
 やめるにしろ続けるにしろ気持ちよくすぱっといけないのはなぜか。あるおじさんなど、営業担当を2度呼び出し、そのたびにメシの時間も無視して3時間以上説教。その上「おまえじゃわからん、偉いのをつれてこい」と言って、偉いのが行けばまた3時間。営業だって忙しいんだよ。彼らの賃金だって広告費から出てるんだよ。
 営業担当もよく我慢したものだ。オレだったら、さっさと「ご不満があるなら、やめましょう。長い間ありがとうございました。またお考えが変わったら、ご連絡ください」って言って、帰ってくるけどね。だから営業を担当してないんだけどさ。

●2002年07月14日(日)
7月14日(日)はれ

 昨日は昼、晩共にはじめていく店に行ったので、ちょっとご報告を。
 昼。午前中に家でうだうだしていたら、すっかり遅くなってしまった。家をっでて、一件用事を済ませたら、昼時になったので、どこかでメシを食ってから編集部へ向かおうと、周りを見ながら走る。
 旧大統領官邸の前まできて、2階にテラスのある店を発見。というか前から知っていたが、入ったことがなかったので、入ってみることにした。
 階段で2階に上がると目の前は旧大統領官邸の木々で、気持ちがいい。真下の道路から騒音は聞こえてくるが、車やバイクは見えない。メニューは完全にベトナム式で、牛、豚、海老、など材料別に別れている。サンドイッチか何か簡単な洋食はないかと、メニューを隅から隅まで見るが、そういうのはない。
 まあいいか、とビールと野菜焼きそばを注文。すぐによく冷えたタイガービールとピーナッツ、おしぼりが運ばれてきた。ビールを飲んでいると焼きそば登場。野菜焼きそばと書いてあったのに、肉や海老、いかが入っている。味は濃いめで、常習性のある白い粉(MSG)がたんまりと入っている味がする。野菜も大切りで、味にセンスがない。
 それでもとにかく半分以上食べ、会計!となった。明細を見たらビール、焼きそば、おしぼり、ピーナッツ、計5万2千ドン。そうか、会計方式も純ベトナム式。頼んでいないピーナッツまでしっかり5千ドン取られるのだ。
 一応、ピーナッツはオーダーしてないよ。と英語で言ったら、でもつまんだだろう?という感じで、小皿を指さした。確かに5〜6粒はつまんだので、だけど、オーダーしてない。といいながら5万5千ドン出したら、店員がいきなりキレて小皿に残っていたピーナッツをその辺にばらまき、投げるように釣りを置いて、プイと向こうへ行ってしまった。
 普通このくらいでは、ベトナム人はキレないのだが、どうなってるんだ?

 夜は最近オープンしたビアホール、ライオンへ。広々とした店内。天井が高く、それでもしっかり冷房が効いている。大きなスクリーンではESPNが音無で流れている。雰囲気はまさにビアホールだ。
 メニューを開けると、ピルスナー、普通のビール、黒ビール、その他いろんな飲み物とソーセージやサーモン、その他いろんな食べ物がある。
 まずはピルスナーをオーダー。ちょっとすっぱめだが、悪くない。料理もきれいに盛りつけられ、味もそこそこ。ピルスナーの後は黒ビール。半分飲んだらまたピルスナーを頼んでハーフアンドハーフにしようかと思ったが、黒ビールの味がすでにハーフアンドハーフくらい柔らかいので、それはやめて、黒ビールをドンドン飲む。
 ビールのサイズが1リットル、500ミリ、300ミリ、とあるので、もうちょっと、というときに小さいサイズが頼めて便利である。
 他のビヤガーデンよりも値段は少し高めだが、内装と冷房に金がかかるので、そんなに割高な感じではない。
  

●2002年07月12日(金)

7月12日(金)はれ

 最近、夜出歩くことが少ないので、たまには夜遊びをしようと思ったが、そうなるとどこへ行っていいのやら分からない。
 そこでオープンして間もないと思われるサンゴという店を覗く。
 入り口の怪しげな雰囲気と違って、中は広々としたスペースの各所に水槽が配置されたバーだ。ソファに座ってミノカサゴやタツノオトシゴを眺めながら、スペインワインを飲む。音楽はフラメンコがかかっている。
 小さなステージがあって、将来はフラメンコギターの弾き語りがあるかもしれないそうだ。
 実はオーナーは顔見知りで、というのも彼は元焼肉藤という店をやっていたのだ。狂牛病騒ぎでベトナム政府が和牛の輸入をストップしたので商売ができなくなり、地下に潜伏。藤は焼肉と共にラーメンでも有名だったので、ラーメン屋を開こうと画策したが、店の契約でもめて断念。元々水槽バーにも興味があったので、そっちをオープンさせた。

 サンゴで軽く飲んで、どこかにメシを食いに行こう、ということで、久しぶりに赤とんぼへ。しばらく前に新装開店して、焼肉、しゃぶしゃぶ、寿司屋になったのだが、まだまだ居酒屋メニューも健在なので、いろいろつまみながらビールを飲む。途中で壁のクーラーから水がガンガン漏れてきて、床が水浸しになったが、30cm程の距離で被害を免れているので、席を移ることもなく、更に飲む。
 腹もくちくなって、どうしよう?どこか静かなバーに行こう。どうせなら行ったことのないところ、とおもい、レタントンのアイリッシュバーへ。
 小さななんて言うことのないバーだが、妙に落ち着く内装と、あまり混んでいない白人客、軽くかかっている音楽。なかなかいい感じだ。メニューに大好きなオールドブッシュミルズを発見。早速オンザロックでちびちびと味わう。甘めの口当たり、スムースな喉越し、独特の風味、こいつは一級品である。
 さんざん飲んで家に帰ったら1時を過ぎていた。夜の早い生活パターンなので、1時はかなり遅いが、たまにはこんな夜もいい。

●2002年07月10日(水)

7月10日(水)くもり一時あめ

 午前中に大事なプレゼンテーションがあり、なんとか無事終了した。実は去年までフルタイムで働いていた広告代理店、今年は一部だけ担当しているのだが、担当の中で一番大きなクライアントからの発注が予想を大きく下回ったので、下半期の月々の契約料が上半期の半分になってしまったのだ。
 そのクライアントへの来年からを見据えたプレゼンテーションだったので、結果次第で給料が元に戻る可能性があるわけだ。
 午後はスケッチ編集部で、写真をレイアウトに当てはめて広告制作。川口探検隊長の店、プレキッチは4カット撮った写真がそれぞれよかったので、以前撮った象の線香立ても含めて5枚の写真で10のレイアウトを作った。普段はこんなには作らず、せいぜい1〜3個だ。知り合いだからというわけではなく、作りやすかったから、たくさん作ったのだ。
 そうしたらプレキッチの店長が5つの写真全て選んでくれたので、8月から12月まで月代わりで行くことになった。
 その他韓国料理屋や雑貨土産物屋のレイアウトを終えて、本日は終了した。
 
 新しい猫「ぎんチャン2」が病気だ。全然メシを食わないので心配していたら、ついに吐いた。思うに以前はろくなモノを食っていなかったのに、いきなり美味しいモノを多量に食べた上に、たぶん初めての牛乳をたくさん飲んだので、腹の調子が悪くなったのだろう。
 成猫なら心配はいらないが、子猫なので、なにも食べないと体力が落ちるのでは、と心配している。なんとか砂糖水を少し飲んだが、この状況が続くようだと医者に行って栄養注射を打ってもらわなければならないかもしれない。
 ちび猫はぎんにだいぶなれてきたようで、1m位まで近づくようになってきた。それでもまだフーといって威嚇しているが、たぶん時間の問題でもっとなれるだろう。ぎんはちび猫をまったく気にしないが、葉月が来ると大変だ。背中としっぽの毛を全部立てて警戒する。こっちはなれるまでかなりの時間が必要だろう。

 


●2002年07月09日(火)

7月9日(火)はれ一時あめ

 朝9時から写真を撮りに行かなければならないのに、スケッチ編集部に着いたのは9時5分前。急いでカメラを持って撮影場所に向かった。9時40分頃に撮影終了。次のアポが10時半からだったので、一度編集部に戻ろうと思ったが、一緒に行った編集者が朝飯がまだだというので、お茶をしに○○○○へ行く。
 カプチーノとチョコレートケーキで一息。大振りのケーキだが、美味しいのでみんな食べてしまう。
 10時半から昼近くまでうち合わせをし、そのまま昼飯へ。
 昼飯を食べていたら大雨が降ってきた。1時半に写真撮影のアポがあったので、雨の中タクシーで出かけるかと思っていたら、電話があって、撮影場所のレストランが混んでいて、客がはけそうにないので、2時半に変更になった。
 だが、2時には他の雑貨屋で撮影がある。それでも30分の余裕は大きく、雨はだいぶ小降りになった。
 とりあえず雑貨屋で写真を撮り、レストランへ向かう。店長が指示する場所は逆光で、モデルになる店員の顔が暗くなると思われるので、ステンレスのお盆を借りてレフ板代わりにし、モデルの顔に光を当てて撮影。逆光はうまくはまれば雰囲気のある写真になるが、だめだとどうしようもないので、順光の場所でも撮影した。
 仕事の合間にいつものカメラ屋へ。この前買ったレリーズ、どういうわけかFGで作動しない。他のカメラでは問題ないのでFGも持っていく。明らかに作動しないのが分かってカメラ屋は交換ではなく返金をしてくれた。たった5ドルだが、戻ってきたので、他の店でまともなレリーズを買おうと思う。
 一週間いなかった分写真撮影に加えて、コンピューター上での作業もたまっているので、夕方から集中して仕事をしたら、いつの間にか8時をすぎていた。急いで家に帰る。


 

●2002年07月08日(月)

7月8日(月)あめ後はれ

 今日は久しぶりにスケッチ編集部に行ったので、結構忙しかった。突然、写真撮影のアポが2件入って、飛び回った。そのうち1つは強力コラム執筆陣の一人、川口探検隊長の店、プレキッチ。隊長の一声で、広告が大きくなることになり、新商品の撮影をした。ありがとう、川口隊長。
 その席で、店長と陶器製作の話をする。実はmik、アメリカのカレッジで陶芸を学び、その後日本でも少しだけ土いじりをしていたのだ。いろいろ作りたいモノのアイデアもあるので、ぜひ作らせてほしい、と前からお願いしていたのです。
 月2回とか週1回とか定期的におじゃまして制作し、いいものができたら商品化してもらおうというわけ。できなければそれまでですが、たぶんWCで日本の優勝に掛けるより確立は高い。今が買いでっせ、社長。
 
 日曜日、ついにハイバーチュン通りの猫市場で「ぎんチャン2」を買った。いなくなったぎんチャンは黒猫だったので、黒いのがほしいと思っていた。通りがかりに覗いたら、ちょっと大きくなっているが黒いのがいたので値段を聞く。
 6万ドン、というのを4万ドンに値切って購入。おばちゃんは猫をビニール袋につっこんで渡したくれた。
 新しいぎんチャンは、一見黒いが、実は胸と腹が白い。だから完全な黒猫ではないが、その方が漢方薬としてねらわれないに違いない。最初はなれずに鳴いていたが、1日でなれたようだ。
 なれないのはむしろちび猫で、未だにぎんチャンを見ると、フー!と威嚇する。威嚇に疲れたのかちび猫、今日は一日中オフィスにこもっていた。

●2002年07月06日(土)
7月6日(土)ダックラックはくもり、サイゴンはあめ

 早起きして写真を撮り、8時半に出発。途中でバイクが壊れたり、パンクしたりする可能性も考えて1時間余裕を持って出発したが、何事もなく9時40分にバンメトートの空港に着いた。 
 早くついたので待つのはいいが、田舎空港でレストランもカフェもなく、お腹がすいてもなにも食べることができない。しばらく待って、一番に発券してもらい待合室に入った。待合室に客が集まりだしたら、突然テレビのボリュームをめいっぱい上げた。サービスのつもりなんだろうが、難聴者でもいない限りそんなことをしなくても十分にテレビは楽しめる。コメディをやっているので、言葉が大げさで、うるさくて仕方がない。携帯電話であちこちにコンタクトをしているベトナム人も迷惑そうに部屋の隅で話している。
 やっと乗り込んだ飛行機では飲み物のサービスのみ。サイゴン空港に着いたら、ついたとたんに大雨がふりだし、タラップからバスまでたどり着けない。雨が小降りになるまで、飛行機の中で雨宿りだ。
 そんなこんなでいろいろあったが、なんとか無事に自宅に戻った。写真は随時追加でアップしていくのでお楽しみに。

 ジャアク本部方面はWCの話題が未だに続いているようだ。今回の取材旅行がこの日程なのは、もちろんWCの決勝を見てから出発したからである。
 決勝の日、楽しみに待っていたら、いきなり停電。しかしサッカーの中継のある日、過去の停電はことごとく試合開始に間にあるよう電気が戻ったし、電話で問い合わせても、すぐに復旧する、というので、そのまま待機した。
 ところが4時の試合開始になっても電気は戻らない。近所の電気屋の街頭テレビに行こうと思うが、雨は降るし、停電で電動シャッターが開かないのでバイクが出せない。仕方なく、インターネット速報にアクセスした。
 いらいらしながら、速報を見ていたら20分ほどで電気が復活。なんとかゴールシーンには間に合った。

 今回のWC、個人的にはかなり盛り上がった。ベトナムではスポーツ観戦、(特に日本チーム)のチャンスがないので、今回は見逃すモノかとスケジュールを調整し、テレビの調子を整え、事前に情報をゲットして盛り上がる体制を整えたのだ。
 だから日本が負けた後も十分に楽しむことができた。でもそれはサッカーを楽しんだのであって、日本戦を見ているときの胃が痛くなるような緊張感とはほど遠い。やっぱり負けちゃあだめなのだ。まったく今でもまだ悔しいぞ。
 個人的には予選リーグは共催ムードで、韓国も応援していた。しかし日本が負けて悔しくて、その後素直に韓国を応援できない。ただ総裁がタイのゲストハウスで言われた「日本はアジアの代表なんだから、アジア人として応援しよう」という言葉をよりどころに、韓国を応援していたのだ。期待していたセネガルやデンマーク、アイルランドもさっさと負けちゃうし、ブラジルとドイツの決勝じゃああまりにも当たり前すぎて、もっと意外な国に進出してほしかった。
 それにしても韓国チームの攻撃の粘りと最期まで動き回るパワーはすごい。日本に足りないのはあのパワーだと痛感。
 新監督はジーコになるらしい。4年後にはブラジルパワーが乗り移っていることを期待しよう。
 

●2002年07月05日(金)
7月5日(金)くもり一時あめ

 昨日の夕食は全部で9万5千ドン。酔っぱらっていたのでいいなりに払ったがどう考えても高いので、朝飯ついでに確認する。ビール(タイガー缶)1万x2、レッドブル7千、ミネラルウォーター1万5千、酒5千、つまみ類3千とここまでは高めだがひどくはない。ところが「Mnongスタイルの夕飯を頼む」とオーダーした夕飯が4万5千。内容はニガウリのスープ、なすの炒め物、魚、タケノコ料理、ごはん、なので、普通なら1万かせいぜい2万ドンの内容だ。
 朝食はパンと玉子2個、コーヒーで1万ドン。これはまあこんなモノだろう。
飯を食い終わったら、バイクで30km先の滝に行かないか、という。特にすることもないので行こうと思い値段を聞いたら3万ドン。往復60kmになるのでこれは安い。行くことにした。
 ところがドライバーは6万ドンという。そこではっきり3万ドンなら行くがそれ以上は1ドンも払わない、といったら、あっさり3万でOKになった。これでボラれた分をいくらか取り返した気分だ。
 9時半に出発。10km程バンメトート方面へ走り、右折。田園風景の山道を走るので気持ちがいい。やがて小さな町に着きクロマー滝、と看板のあるところを右折すると、やがてゲートが見えてきた。入場料は一人5千ドン。外国人料金はないが、ドライバーの分もしっかり取られた。
 滝というより沢で10m程の豊かな流れが大きな岩の間を流れている。たいした景色ではないが、ベトナム人にとっては大きな岩を伝わってのピクニックは楽しみの1つらしい。せっかく来たので1時間ほどゆっくりとして、ラックへ戻る。
 途中で雨が降ってきた。合羽を持っていないので、雨が強くなると道沿いの家に飛び込んで雨宿り。雨はすぐに小振りになり、止み、また降ってくる。2〜3回雨宿りをしてボリ飯屋にたどり着いたら雨が激しくなった。
 雨宿りをしつつ昼食。やばいと思いながら値段を聞かずに「飯」とだけオーダーする。カボチャのスープ、豚肉とインゲンの炒め物、タケノコ料理で2万ドン。やはり高いが昨日ほどではない。食べ終わって精算したらなぜか釣り銭が少ないので、紙に書かせる。メシ2万、バイタク3万、入場料3万5千ドン。おいおい、入場料は二人で1万だろうが。指摘したら謝った上、きちんと釣りを払ったのでよしとしたが、こいつらは油断できない。
 その後ロングハウスで昼寝。目覚めても雨が止まないので、この日記を書いている。実は今朝、ちょっと仕事と思ってiBookの電源を入れたら、矢印キーが勝手に押されっぱなしになってしまう現象が起きた。カーソルがどんどん進んでしまうので仕事にならなかった。雨で暇なので、キーボードをはずして軽くたたいたら復活した。小さなゴミが詰まっていたのだろう。
 これで天気がよくなれば丸木船で湖のクルージングに出かけられるのだが、カメラを持っていくので雨が完全にに上がらないと出かけられそうもない。どうしよう、と考えていたら、外からドンドンと大きな音が聞こえてきた。何事かと思ったら、観光バスで乗り付けたベトナム人の団体客がゴングショーをオーダーしたらしい。ちょっと覗いてみよう。
 貸し切りだろうから、入り口から覗いていたら、司会をしていた管理事務所のおばちゃんがやってきて、中に入って写真を撮れという。すぐにカメラを取りに戻る。ショーは歌とダンスが中心だが、コメディタッチのダンスもあって面白い。ロングハウスの中なので3脚を立てて写真を撮ったが、かなりぶれていると思われる。
 

●2002年07月04日(木)
7月4日(木)はれ道中一時あめ

 クレージーハウスを9時に出て、ソ連製のジープでラックへ向かう。ジープにはドライバーが2人乗っている。途中に滝があるので、写真を撮ろうと思ったら、雨が降ってきたので中止。そのままどんどん進む。
 道は国道27号線だが、峠を越えたところで舗装がとぎれ、赤土のぬたぬた道になった。4WDのジープなので問題はないのだが、問題ないのはジープだけで他の車は問題があるのだ。前に遅いトラックがいて、真っ黒な煙を吐きながら進むのだが、それを抜く場所がない。
 しばらく煤煙を浴びながら走ったら、前方でバンがスタックしているのに出くわした。路肩に車を寄せてしばらく待つが、一向に抜け出す様子がない。ドライバーが見かねて助けに行く。こいつを助けないと我々も通れないので仕方がないのだ。
 ワイヤーロープでバンとジープを繋ぎ、ジープの前輪ハブになにやらねじ止めして4WD化し、バックで引っ張ったら抜け出した。その騒ぎで遅いトラックもパスし、順調に先を急ぐ。しばらくして道は舗装路になった。
 小さな村の飯屋で昼食。肉は辛目の味付けだがうまい。鶏は地鶏だろう、普段は嫌いなゆでただけの鶏が結構美味かった。肉2品と鶏、野菜が2品、スープ、ごはん、茶で3人で3万ドン。安い。
 飯の後1時間ほどでラック湖のほとりの村に到着。Mnong族の村のロングハウスに泊まることにした。ロングハウスは2カ所あって片方は村の中、片方は公園のような所に宿泊のために建てられたもの、もちろん村の中の方にする。
 窓の外はすぐに湖で、釣りをする子供達や、漁をする小舟が見える。すぐそばに管理事務所兼土産物屋があって、そこのMnong族のおばちゃんはかなり巧い英語を話す。本当はフランス語が得意だという。Munongの教育レベルは高そうだ。
 早速おばちゃんをつかまえて、Munong族についていろいろ質問する。それで分かったのはMunongは5以上のグループに分かれていて、互いに言葉は通じない。おばちゃん達、ラック湖の周りに住んでいるのはMunong Lamで、農業を生業としている。魚は自家消費分だけを捕る。
 伝統的には布を織らず、篭を編んで、エデ族の布と交換していた。だから民族衣装はエデと同じである。最近ははエデ族から学んで布を織るようになった。などなど。
 少数民族で英語が巧い人に初めてあったので、直接いろいろ聞けて面白かった。
 明日はここでゆっくりと過ごし、舟に乗ったり、象に乗ったりして見るつもり。明後日の朝、バイタクで空港に向かう予定だ。空港までは1時間半くらいらしいので、11時50分のフライトには十分間に合うだろう。

●2002年07月03日(水)

7月3日その1(水)はれ午後くもり

 ディーゼル機関車に引かれる2両編成の客車は、ベトナム人の観光客でいっぱいだ。席が足りずプラスチックの椅子を持ち込んでいる。団体客らしく、トラメガを持ったオヤジが大音響でなにやらしゃべるのでうるさいが、それ以上に頻繁になる汽笛がうるさいので、オヤジのトラメガも余り役に立たない。
 20分ほど走ると終点。30分停車してまたダラットへ戻る。客はみんな近くの寺を見に行く。寺に興味はないが、他になにもない小さな街道沿いの街なので、とりあえず寺へ行く。
 寺はごてごてと変に飾られた仏教寺院で、庭にはビールやワインの瓶でモザイクされた大きな龍がのたうっている。中に入ってもしょうがないのでさっさと引き上げて、写真を撮っていたら、駅の脇に鍛冶屋を発見。鞴で炭をおこして鉄片を真っ赤に焼きくい打ち機みたいな機械でたたいて伸ばし、それを更に手でたたいて鎌のような曲線モノに仕上げている。鉄床は古い砲弾だ。こっちの方が寺よりずっと面白い。
 汽車は同じ線路をダラットへ戻った。駅を出てStop & Goというカフェに向かう。Stop & GoはDuy Vietという詩人が自宅をカフェにしているところで、4匹の犬と2匹の猫に迎えられるが、家には誰もいないようだ。
 帰ろうとしたら2階の窓が開いて、オヤジが顔を出した。Duy Viet本人だ。すぐにリビングルーム兼カフェに招き入れられて、コーヒーを飲む。彼は英語が上手なので話が弾む。そのうち奥からワインを出してきた。将来ダラットに住みたいと言ったら、家の隣の土地に住んでいい、などとうれしいことを言う。もっともそこは一段低くなっていて、隣の家にも隣接しているので、あまりぱっとしない。
 いろいろ話して帰ろうとしたら、土産だと行って縦長の厚紙に墨でさらっと書いたカリグラフィーをくれた。その上コーヒー代はいらないと言う。結局カフェなのか家なのか分からないまま帰路に就いた。
 ガイドに、バイク代とガイド代計27万ドンを払い、ホテルまで送ってもらう。途中で薬局によって頭痛薬を買う。朝から少し頭が痛かったのだが、夕方になっても収まらないのだ。普段薬は飲まないのだが、このままでは行動が制限されるので、飲むことにした。
 ホテルに帰って熱い風呂に入りたっぷりと汗をかいて1時間ほど寝る。それからホテルに隣接するレストランに行ってラザニアを食べる。とてもビールを飲む状況ではないので、ミネラルウォーターだ。その水で薬を飲んでホテルに戻りさっさと寝た。

7月3日その2(水)はれ午後くもりのちあめ

 朝起きたら頭痛は収まっていて、調子は万全。飯をくってホテルのグループが管理しているビラを見に行く。
 ビラは全部で13あり、みんな1915年頃に立てられた。中の2軒だけがリノベーションされていて、一軒はダラットで仕事をしている外国人が借り、もう一軒はホテルのGMが住んでいる。後は荒れ放題だが、もうすぐリノベーションをして、貸別荘やホテルにする計画らしい。とはいえまったくなにも始まっていないので、まだ1〜2年はかかりそうだ。瀟洒なビラが客に開放されず、GMだけが美味しい思いをしているわけだ。
 ホテルに帰ってチェックアウト。クレージーハウスと呼ばれるホテルに移る。ここは自称建築家のおばちゃんが趣味で作ったホテルで、外観も中もかなり変わっている。バスタブ付きの部屋(39ドル)を予約しておいたが、その部屋は塔状の建築物の天辺で、天井にはガラスがはめ込まれていてかなり明るい。サンルーム状態なのでサイゴンだったら暑くてたまらないだろうが、ダラットでは快適である。
 そんな変わった建物なので、観光名所になっていて、ベトナム人がぞろぞろやってきては写真を撮っていく。そのため全ての部屋はドアが開かれていて、中を見られるようになっている。せまい曲がりくねった階段や通路で部屋が結ばれているので、客のいる部屋のエリアには入れないように鎖が渡されるが、外ではしゃぐベトナム人の声は否応なく聞こえてくる。
 チェックインするとすぐに人がやってきて、お湯の入ったポットを置いていった。そして明日の朝食のオーダーを今しろという。そうすれば時間がかからないと言うのだが、なにを食べたいのか今決めろってのも、かなり違和感がある。そのうえ1ドルまでは部屋代にインクルーディングだが、越えた分は現金精算。だったら最初からエクスクルーディングにして1ドル部屋代を安くすればいいと思うのだが。建物だけでなく運営もかなり変わっている。
 オーダーを取りに来た兄ちゃんに、ラックへ行く車はないか、ときいてみる。車は二人からのツアー用で、しかもラックからバンメトートを通ってニャチャンへ行く2泊3日のモノしかない。バイクではどうかと聞いたら、ヤツが自分で運転していくなら50ドルでいいという。
 昨日のガイドの兄ちゃんは車80ドルと言っていたので、バイクが50では高すぎる、といったら40になった。とりあえず保留して、バイクを借りて街へ出る。レンタルバイクは1日7ドルだが、すでに午後1時過ぎだったので交渉して半日3.50ドルで借りる。
 昼飯後、安宿街とおぼしきところを流す。ホテルはたくさんあるのだが、ツアーデスクを置いているところがない。やっと見つけたところで車50ドルというので、それで行くことにした。そこはバイクなら30だというが、後ろで山道を6時間、しかもいつ雨になるかわからないので、最初から車のつもりだったのである。
 その後バイクで街を走って写真を撮る。湖の裏側を走っていたら、雨雲が広がってきて気温も下がってきたのでいったんホテルに引き上げて、今これを書いている。部屋に電話がないのでいつになったらアップロードできるか分からないが、とにかく書いてしまおう。

●2002年07月02日(火)

7月2日(火)くもり一時あめ

 朝、ホテルのダイニングルームに行ったら、値段付きのメニューが出てきた。なのにまずコーヒーは?と聞かれ、続いてペイストリーがバスケットに盛られてきた。玉子はどうか、ジュースは?と聞かれ、聞かれるままに注文する。
 食べ終わったら代金はいらないという。結局インクルードなのだが、だったら値段付きのメニューなんか持ってくるなっ!
 8時にガイドがバイクでやってきたので、2日間で行きたいところに行けるように、相談しつつアレンジする。本日は少数民族の村とランビエン山。市場とカフェ。明日午後汽車に乗る。と言うことにして、出発。
 まず彼のオフィスに行き、村へはいるパーミッションを作る。簡単なものだが、これがないと見つかったら200ドルの罰金だという。村に住むラット族は戦争中アメリカに協力していて、多くの人がアメリカに住んでいるので反政府と見なされていて、そのため入村者は警察に届けなければならないのだ。
 村は随分近代化されているが、ガイドのフーが、宗教から作物、家族、生活と詳しく説明してくれるので興味深い。
 それからランビエン山へ。実はラット村はランビエン山の麓にあるので、山はすぐそこだ。山はツインピークスで、高い方へは徒歩でしか行けないが、低い方は山頂まで舗装路が続き、頼めばジープで上ることができる。歩くと往復5時間以上かかるので、ジープで行くことにした。1台15万ドン。途中にあるバンガローやレストランを越えて、ソ連製のジープは山頂へ。
 山頂には見晴台と簡単なカフェがあるが、雲の中に入ってしまい、なにも見えない。晴れていればダラットの街が見えるという。カフェの裏が平らにならされているのはヘリポートの跡。昔の軍事施設を感じさせる。うろうろしていたら、一瞬雲が切れて、湖が見えた。ダラットから湖畔を越えて道が続いていて、途中には温泉があるという。最近、政府から許可が下りたので、これから観光開発が進むらしい。
 標高2千メートル近く、雲の中なので、結構寒い。特にすることもないので、またジープに乗って山を下りる。それから街に戻って昼飯だ。
 フーが、飯の後で市場に行ってからでも2時発の汽車に間に合う、というので、予定変更。雨の中歩いて市場へ行き、お茶を飲んで、駅に向かう。
 ダラットの駅はおしゃれな高原の建物で、東南アジア一きれいだとは地元の弁。昔はファンランまで汽車が通っていたのだが、今は観光用に一駅間20分だけが復活している。日本製の蒸気機関車も止まっているが、これは今は使われていない。

続く

●2002年07月01日(月)

7月1日(月)はれ道中所々あめ

 ダラットにやってきた。取材旅行なので、コンプリメンタリーでソフィテルパレスというダラットで最高級、ソフィテルグループの中でも最高級と言われるホテルに泊まっている。部屋はさすがにレイクビューじゃないが、広々としていい感じ。
 このホテルはクラシカルな雰囲気のまま、部屋も43室と、リノベーションをしても部屋の区切りは変えなかったようだ。床は全て木のフローリングだし、バスタブは猫足だし、部屋の電話までクラシカルだ。
 今朝、7時に家を出た。取材旅行なので飛行機でもよかったんだが、たまにはローカルバスにも乗ってみたくて、バイタクでバスステーションへ向かう。ところがバイタクドライバーは東バスターミナルには行かず、チョロンの横町にあるダラット行きのバスのりばに向かった。いつも使うバイタクなのでとりあえず任せてみたが、待っていたバスはフォードトランジット19人乗り。一人4万5千ドンだ。
 後ろの席は3人がけ+補助席なので、ドライバーの横を所望する。そこはどうやら5万ドンらしい。しかしそこも二人がけで、足下に荷物を置くと結構狭い。狭い、とごねたら、10万ドン払えば2席使っていい、というのでそうすることにした。後ろでぎゅう詰めの庶民には申し訳ないが、ゆったりとした席で居眠りしながらダラットへ向かう。
 街の喧噪を抜けると、道は緩やかにアップダウンしながら、ゴムのプランテーションを縫って進む。空気が涼しくなってくると茶畑が広がり始め、峠を上がるとバオロップ。さらに高原の道を進んでやっとダラットに着く。
 途中で客の乗り降りがあったり、飯休憩があったりで、結局6時間かかってダラットに到着。バスがホテルの前を通ったので降ろしてもらった。
 ホテルについて、セールスマネージャーとミーテイング。そのあとホテルの中を案内してもらって今部屋に戻ったところだ。夕食は市場近辺に出かけてみようと思う。
 明日からはバイク+ガイドを頼んで、少数民族の村とランビエン山、2駅の間だけ復活した列車に乗り、ホテルのグループが管理するビラも見せてもらう。パレスには2泊して、3泊目はクレージーホテルと異名を取るホテルに泊まり、そのあとバスでラックへ抜ける予定。明日朝、ツアー会社と打ち合わせて、日程をつめることになった。
 

 

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