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三日堂ベトナム情報局

執筆担当
ジャアク商会ベトナム支局長
石原文春


2002年10月のバックナンバー
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●2002年10月30日(水)

10月30日(水)はれ
 急にバンコクのジャアク宴会に参加することになり、けっこうバタバタとしている。土曜日に東南アジアの日本人サッカーチームがバンコクでトーナメントをするのだが、サッカー部はみんな一緒に行動するのかと思っていた。サッカー部には「赤とんぼ」の増田さんやフォトグラファーTさん、川口隊長とか川口隊長のところのUFO小倉とか工場長楢府などがいるのだが、知らない人も多いので、そんな中に混じって宴会はできない。ところが増田さん曰く、ばらばらだと言うので、それじゃあ一緒に飲みに行きますか、という話になり、急遽バンコク行きを決定。 
 そうなるとまずは航空券だ。というわけで押さえにかかったら、金曜日の便が取れるではないか。行くとなると実はバンコクで打ち合わせをしたほうがいい仕事があったり、買い物の予定を立てたり、バンコクのAPEXにスケッチを持って行けとか、いろいろ付随する用事が出てくる。そんな調整で忙しい。
 と言うわけで金曜発、火曜帰りのバンコク行き。向こうでのメインはもちろんジャアク宴会だ。前回ゴーゴーバーで踊った時と同じメンバーなので、今回も強力に踊りまくる可能性が高いが、体力がついていくだろうか。脱ぎたがりのクマプーや商社秋山はいないので、裸大会にはならないと思うが。
 今回はカメラを持っていって、サッカー大会や町の様子など銀鉛写真に押さえてくるつもりだ。その代わりコンピューターは置いていこうかと思う。コンピューターを持っていなくてもインターネットカフェで十分に用が足りるのではないかと思うからだ。このへんの様子はまた後日。
 買い物のメインはBMWの部品である。鍵の部分が何度直してもだめなので、ここはオリジナル部品に代えるしかないと思うのだ。前回調べたときにはバンコクで手にはいるようだったので、挑戦してみるつもりだ。もしあればスピードメーターもオリジナルにして、針がちゃんとスピードを示すようにしたいとも思う。
 その他はコンピューターソフトや音楽CDなど。こんなに予定があると4〜5日などあっという間なのである。

●2002年10月28日(月)

10月28日(月)はれ
 土曜日は結婚披露宴に出席。オムニホテルのバンケットを借り切って丸テーブルが並ぶ。総数40近い。1テーブル10人がけなので、400人ほど招待客がいる計算になる。
 30分ほど遅れてパーティが始まった。一流ホテルなので、部屋はきれいだし、サービスもなかなかしっかりしている。式の進行も計算されている。風船割り(昔は爆竹だった。爆竹が禁止されてからは風船をたくさん割って音だけは派手にいく代替え案が採用されている)はオートマティックだし、挨拶は簡潔、簡単なゲームもある。料理は前菜2品、スープ、鶏、豚、海老、魚、チャーハン、デザートと豪華版で、最後の2品はもうお腹に入らない。味も平均点以上で大変いい。
 といいことずくめなのだが、それらをすべてチャラにするくらいひどいのが音響。JBLのでかいスピーカーで音質はいいのだが、ボリュームがでかすぎる。司会の声、次々と現れる歌手の歌、なにもかもが異様に大きな音だ。大きな音好きのベトナムでもここまでのはなかなかない。何しろ隣と話すのが精一杯。向かいの人とは怒鳴り合わなければ会話が成立しない。ディスコの中でメシを食っているようなモノである。
 そんなボリュームの中にいると音で疲れるのが分かる。座っているのが苦痛で、外にあるトイレに立つ回数が増える。途中で帰るのは失礼だろう。料理の出方がゆっくりなので、なかなか苦痛から解放されない。2時間あまりでデザートになり、食べる頃には半分以上の客がすでに帰った後。誰もいないテーブルに皿に盛られたプリンが並んでいた。
 そのプリンをオミヤに、クーロンへ向かう。終了パーティで大騒ぎかと思ったら、いつものようにカウンターにちらほらと客がいるだけだ。CCを頼んでカウンターに座る。しばらくするとさっきの結婚式帰りのメンバーや、仕事を終えた連中が集まってきて、にぎやかになって来る。
 カウンターをおりてテーブルで話し込む。BGMがいきなりサザンオールスターズになり、知ってるところはガンガン歌えるので大騒ぎだ。ほとんどみんな顔見知りなので、テーブル間の移動もあり、かなりの人と話ができた。2時頃、まだまだ盛り上がる連中を残してベスパで帰宅。

●2002年10月26日(土)

10月26日(土)はれ
 昨日の朝もデザインプロダクションによって、プリントアウトをもらい、打ち合わせ。その直しを今朝も同様にこなし、ほぼOKになった。後は月曜日にカラープルーフを持っていけば仕事は終わり。印刷と配達はプロダクションに任せておいても問題ないだろう。と言うわけで朝は忙しいが、午後は暇だ。
 暇なので久しぶりに足裏マッサージに行く。足裏と言いつつ、肩から背中にかけてもしっかり揉んでくれるので贔屓にしている店に入って、ソファーに座る。奥から大声の中国語が聞こえてくる。
 声の主は一人でしゃべりっぱなしだ。講談の練習をしているわけではないので、当然相手がいるのだが、とにかくずっと一人でしゃべっている。滑舌のいい中国語が店内に響き渡り、BGMなんか全然聞こえない。
 ちらっと見ると中年のオヤジがマッサージを受けながら誰かに向かって話しているのが見えた。そうやって気にしていたからか、マッサージ屋の店員が、奥の部屋に移るか、と聞く。
 マッサージは途中だし、第一、声はでかいが同じ調子でしゃべりっぱなしなので、煩くはない。これならこのまま眠れそうなくらいだ。高校の時の声のでかい数学教師のようなモノで、必死に目を開けて聞いていようとがんばっても、意味不明のことを調子よく大声で話されると眠くなるのだ。
 こちらが気にして話しているのが伝わったのか、オヤジは幾分声を落としてくれた。それでも店の隅々まで響き渡るのに代わりはない。そのままマッサージを受けていたら、案の定、うとうとと眠ってしまった。
 目を覚ますとオヤジのマッサージが終わり、店を出ていくところだった。勘定を払い、店を出ていきながら、今度は携帯電話に向かって、大声で話している。店を出てドアが閉まっても、おやじの声ははっきり聞こえてきた。店員一同、大笑いである。
 マッサージが終わって、とりあえずスケッチ編集部へ向かう。土曜日だから家に帰ってもいいのだが、今日はAPEXの日本人スタッフの結婚パーティがあるので、それまで編集部で時間をつぶすのだ。結婚披露宴の後は、いよいよ後2日でしまるクーロンに寄りたいと思っている。

●2002年10月24日(木)

10月24日(木)くもり一時あめ
 朝から曇っているが、ビンユンの工場へ出かける。ちょっとスランプで製作意欲もないし、アイデアも浮かばない。それでも何点か作った。これは焼かないでおいて、来週透明釉をかけてみることにした。
 昼飯の後で一度帰宅。少し雨が降っているが濡れるほどではない。その後デザインプロダクションに指示出しとチェックに行く。空には真っ黒な雨雲が広がっているので、本来なら出かけないのだが、用があるからしょうがないのだ。思った通り途中で雨が降り出した。時々強く降るが大雨にはならず、なんとか目的地に到着。
 作業を終え、指示を出して、明日朝プリントアウトを受け取れるように打ち合わせをして、スケッチ編集部へ。雨はすでに止んでいる。ここでも作業兼打ち合わせをして、6時頃、帰路に就く。
 道はいつもより空いていて順調に家の近所まで来たのだが、突然車が渋滞しているのに出くわした。300m程で大きなロータリーになり、そこを右折すればいいのだが、その300mが突破できそうもない。こういうときはUターンに限る。たとえそのまま待った方が早くても、排気ガスの中でイライラするよりましだ。
 迂回路も結局は大きなロータリーに出るのだが、こちらの方が幾分ましである。車は渋滞しているが、バイクは流れていたのでほとんど止まることなくロータリーへ到着。ロータリー近辺には何人も警官が出て、交通整理をしている。渋滞の原因がさっぱり分からない。
 ロータリーから出る流れは順調なのだが、入る方が渋滞している。ベトナム渋滞の法則で、渋滞すると対向車線にドンドンは乱すヤツが多いので、車線が圧迫されて、出る方も流れが悪くなる。それでもピークは過ぎたのか、なんとか渋滞を脱出することができた。
 新聞によるとこのへんは来月から大幅な交通規制がひかれ、主要道路を一方通行にするらしい。どうせ一方通行を守らないヤツが多いのだろうが、少なくとも車は守るだろうからだいぶ流れがよくなるに違いない。

●2002年10月23日(水)

10月23日(水)はれ
 昨日は「故郷」で韓国料理。人数が少ないのでいろいろ頼めないのが残念だが、キムチチゲと焼肉、ししゃも、ビール、ごはん。改装後、テーブルで肉が焼けるように、ロースターが切ってある。蓋を取って、ロースターの中に炭を仕込み、炭火で焼くのだ。換気がイマイチのようで、店内にはあちこちのテーブルから漂う煙が充満し、店員の姉ちゃんは入り口のドアを開けたり閉めたりと忙しそう。お腹がいっぱいなのに、キムチチゲが旨いので、ついつい最後まで食べてしまう。
 苦しいので腹ごなしに強い酒が飲みたくなりクーロンへ。CCを飲む。早い時間なのだが、フォトグラファー高橋夫妻、膳のカオルちゃんなど常連と顔を合わせる。またもボンゴをたたき出したら止まらなくなった。表面を押さえて音程を変えながらたたくという技を発見し、音楽に合わせてたたいていたら、カウンターに隣り合わせたおじさんかお褒めの言葉が。いやなに、素人の遊びです、などとちょっと赤面。
 CCを飲みつつチーズケーキをつまむ。ここのチーズケーキは甘さ控えめで、ちょっとチーズをつまんでいる感じ、酒にも合う。9時半頃まで飲んで帰宅。遅くから来る連中には会わずじまいだった。
 今日は朝から忙しい。家で作業後、10時からデザインプロダクションで打ち合わせ。指示を出しておいて、編集部へ行く。編集部では特にやることもない。昼飯に出て、そのまま指示しておいたモノを受け取り、客と打ち合わせ。内容が決まってきたので、またデザイン事務所に行って変更点を指示する。これを明日の午後までにやってもらい、チェックして、明後日の朝にはまた客と打ち合わせだ。
 編集部に戻って、来年用のデザインをいくつか考え、道路が渋滞する前に帰宅。4時半頃家に着く。この時間を逃すと渋滞が激しくなるので、6時過ぎまでは外に出ないようにしているのだ。

●2002年10月22日(火)

10月22日(火)はれ
 昨日の夕方、クマプーから電話があり、ブルースハープの先生が来ているからメシを食おうと言う。先生はブルースネームをモジョーといい、クマプーと同じ会社の香港支社で働いていて、時々出張でやってくるのだ。
 指定された時間に「膳」にいくと、予約は4人。もう一人は誰かと思ったら、クマプーの上司の辻本さんであった。会社のディナーに混ぜてもらったような格好になる。
 モジョーのお父さんは元プロバスケットボールの選手で、彼自身も腰を痛めるまではバスケットをやっていたらしい。今でもスポーツが大好きなので、野球やアメリカンフットボールなどの話題がつきない。折しも奥のテレビではニュースでワールドシリーズをやっている。ヤンキースファンの彼は当然松井のこともよく知っているし、王のことも知っている。なぜか、というか当たり前だろうけど長島のことは知らなかったので、みんなで説明する。
 そうこうしているうちに話はブルースハープになり、店にあったギターを持ち出して、「Aを弾け」という。おいおい、ギターなんて20年以上いじってないぞ、と言いつつA引くと、そのまま4小節、弾けと言う。終わると、その4度は何だ、と言う。4度はDだ。じゃあ次はDを2小節。そうやって弾いていたらAの循環コードが完成した。
 A-D-A-E7-D-A-E7。このくらいのコードならなんとかなる。Fがなくてよかった。それでもすぐに弦を押さえる指先が痛くなる。しかしモジョーがギターに合わせてブルースハープを吹いているので、やめるわけには行かず、コードを繰り返す。
 ブルースハープは哀愁を帯びて鳴り渡るが、自分のコード進行に精一杯でまともに聞いている余裕がない。しかし誰もギターを代わってくれないので、仕方なく続ける。ギターの名手、店主の石井さんは忙しそうで、代わってくれる気配がないのだ。
 食事後にみんなと別れてクーロンへ。川口探検隊長がいて、ラオスの報告をしてくれる。クーロンへの土産に買ってきたという、マンゴーの木の胴体に、バッファローの革を張った小振りのボンゴがある。たたくとなかなかいい音でなる。手放せなくなってずっとたたいていたら、右手の人差し指が痛くなった。
 川口隊長が帰り、膳のカオルちゃんやクマプーがやって来た。閉店時間を過ぎてシャッターが下ろされる頃、商社秋山も登場する。しかし今日はここまで。夜中にネクタイを締めて入ってきた秋山とすれ違いで退場することにした。

●2002年10月21日(月)

10月21日(月)はれ
 朝、ベスパを直しに行く。ベスパ屋オヤジをつかまえて、身振りで症状を伝える。オヤジはまず前輪ブレーキの修理をはじめた。
 タイヤを外し、ブレーキシューを露出させ、隙間に平たい金属片のようなものを挟み込んでいる。ブレーキシューが真っ直ぐにドラムにあたるようにしているようだ。そんないい加減な直し方でいいのかと思うが、とにかく専門家に任せておく。オヤジのチェックでは直ったらしく、タイヤを組んで終了。
 次はエンジンカバーだ。車体側の受けになる鉄板を曲げ、引っ掛かりをよくしている。それは先日オレもやったのだ。だがオヤジの加減は絶妙で、うまく引っ掛かるようになった。その上カバーの縁にビニールのモールを回して、厚みを増す。これでかなりしっかり引っ掛かるようになった。所要時間30分、総工費1万ドン。
 その後スケッチ編集部へ。さしてやることはないのだが、印刷所が割付画面をプリントアウトしてくるので、最終チェックをしなければならない。まず中ページができてきた。広告のひとつがバックのカラーが抜けているのを発見。後は午後3時頃だというので、ピンボールゲームで遊んでいると、霜下社長が現れる。スケッチウエブの打ち合わせのようである。
 その後、ニック登場。ニックは日本語がぺらぺらのカナダ人で、カンボジアでアンコールZENと言う雑誌を作っている。その他いろいろやっているが、詳しいことは分からない。アンコールZENとスケッチは業務提携をしているので、ベトナムに来ると編集部に来るらしいのだが、今まで会ったことがなかった。
 ニックとは10年くらい前にダナンで会って以来で、こっちは彼の動向をだいたいつかんでいたが、ニックはオレがここで仕事をしている日本人と同一人物だとは思っていなかったようだ。
 プノンペンの印刷事情や、近況などを話す。近々プノンペンでブルースバーを開くそうだ。プノンペンの家賃は高くて、月に140ドルだ、という。う〜ん、プノンペンに行って店をやろうかな、と本気で思うじゃあないか。
 その他、HCMCやバンコクでも何かの店を画策中。なにをやらかしてくれるのか、楽しみである。

●2002年10月20日(日)

10月20日(日)はれ
 なにもすることがないので、だらだらと家で過ごしている。昔の友達にメールを送ったら速攻で返事が返ってきた。携帯電話に送られているようで、帰ってくる文は短いが、返信すると又すぐに何か反応がある。こういう意味のないおしゃべりのようなやりとりも面白い。
 暇なので、そうやって時々ダイヤルアップでネットに繋いで、遊んでいる。検索に、前から「どうしているのか」と思っていた昔の知り合いの名前を入れてみたら60以上のページにヒットした。
 その人は大学の時の先生で、「おまえら、親のスネはがじれるだけかじれ」という素晴らしい教えを残してくれた人だ。それを最大限実践したオレは勝手に弟子のつもりでいたが、卒業後は会うチャンスもないままだった。
 大学で教える前は映画関係の仕事をしていたので、ヒットするページはほとんどが昔の映画に関するものだが、中にそれ以外のものがあったので、そのページに飛んでみる。
 それは誰かの日記で、中野を散歩していたらその先生の葬式の時に来た寺の脇を通ったと言う文がヒットしたのだった。ああ、もうだいぶ前に亡くなったンだな、と分かったが、詳しい経緯はまったくわからない。それでそのページの頭に飛んでみたら、その日記はタイトルを「腰曲散歩日記」といい、書いているのは詩人の鈴木志郎康だったので、ちょっとびっくりした。
 その他どこか面白そうな所はないかと探していて、思いついたのはクマプーが「面白いことになっている」と言っていた某BBS。早速見に行ってみる。実に多くのスレッドになっているのを読んでみた。最初の質問は「ボラれる率が高いベトナムは嫌いだ。好きな人は理由を教えてくれ」なのだが、それがすぐにボラれることの定義や是非の議論になった上、個人経験や憶測、感情論、揚げ足取りその他入り乱れて、なんだか要領を得ない状況になっている。
 それ自体も面白いのだが、BBSのこういう議論の発展の仕方そのものが非常に興味深い。結局は大局を見ている人は少なくて、ほとんどみんながディテールをひとつずつ挙げて話し(書き)はじめるので、訳が分からなくなるのである。
 この場合は問題を3つに分けなければならない。1.国の政策による外国人価格。2.街の商店やメシ屋、交通機関のボリ。3.明らかな犯罪行為。これを一度に議論するのは無理があるのだ。
 1と3は置いておいて、2に関して考えると、結局はボラれたあとどうするのかってとだろう。泣き寝入り、喧嘩、交渉、裁判その他いろんな方法は個人の裁量に任されていると思う。そのことを語らないと建設的な意見はでないと思うのだが。

●2002年10月19日(土)

10月19日(土)はれ一時あめ
 昨日はスケッチ入稿日で忙しく、疲れて日記を書く気にならなかった。疲れたと言っても6時には仕事を終えたのだが、ちょうどそのころから激しい雨が降り始め、1時間半ほど雨やどり。その間暇だったので、ウインドウズにくっついているピンボールゲームで遊んでいた。
 これがいつもは20万点代がいいとこ。ところが帰る間際に、どういうわけか1つ目のボールで40万点を超え、いつまでもゲームが終わらない。フラップの間からボールを落とした!と思ったら、真ん中に出っ張りがでていて落ちなかったり、落ちてもリプレイボールが出てきたりする。
 このまま続けたらすごいスコアになるだろうと思いつつも、お腹も空いたし、雨もやんだし、やむなく途中でやめた。試しに今日再挑戦したが、まったくふるわず10万点の後半がやっと。昨日は神が宿ったとしか思えない。
 で、疲れ切って帰ってきて、一杯飲んだら眠くなったので、10時過ぎにはベッドへ。ぐっすりと8時まで寝たのだが、肩こりが治らない。そこで本日午後はサウナ+マッサージへ行ってゆっくりと疲れをほぐす。入稿が終わったのでちょっと一服、という感じ。 
 サウナ+マッサージは最近お気に入りのThi Sach通りにある店へ。スチームサウナとジャグジーの後は別室で75分の全身マッサージ。マッサージ屋で貸してくれるパンツとガウンで2回に上がり、ガウンだけ脱いでマッサージ。アブナイ系は一切無しだ。アブナイ系へ行きたい時は、マッサージではなくて、もっといろいろできるところへ行けばいいので、マッサージ屋がどこも彼処も「どうしますか?」というのは困る。「いらん」ですめばいいのだが、チップの相場額が2〜4倍になるので、マッサージの姉ちゃん達の誘いは執拗だ。
 その上、それで稼げるので、マッサージの質がドンドン落ちる。困ったものである。マッサージが終わって、最近のチップの相場10万ドンを払う。5万でもいいのだが、このへんは気分次第かな。そうしたら、うれしかったのか、更に背中をマッサージしてくれた。なんだか得した気分である。
 シャワーを浴びて着替え、編集部に戻る。仕事はすべて終わっているので、荷物を持ってベスパ屋へ。ところがオヤジは不在で、その辺にいた別のオヤジが明日来い、という。この場合の明日、には何の保証もない。正直に明日また行っても、オヤジがいるとは限らないのだ。明日来い、の意味は、とにかく今はだめで、待っていてもすぐには戻らない、と言うことだ。
 月曜日の朝にでももう一度行くことにして、Uターン氏、家へ帰った。

●2002年10月17日(木)

10月17日(木)はれ一時あめ
 木曜日は土いじりの日なのだが、入校前で忙しいので今日はお休み。朝からスケッチ編集部へ行く。
 その前に今日は犬の運搬という大仕事があった。
 葉月に種を付けるため、3km程離れた家に葉月を運ばなければならない。タクシーは犬を乗せるのをいやがるので、シクロを呼ぶ。シクロに人間が乗って犬を乗せ、首輪をしっかりと押さえていなければならない。犬はシクロに乗り慣れていないので、すぐに飛び降りようとする。それをなだめすかしつつ、更に力づくで阻止しなければならないのだ。
 最初はシクロの上で後ろ向きに座っていた。足の間に座って、頭をこっちに向けているので、首を押さえやすい。ところが、犬もやはり進行方向を向きたいのだろう、すぐに首をねじ曲げて前を向こうとする。そのうち首が疲れたのか、身体全体を小刻みに回転させて前を向いた。
 その途中で足を踏まれる。油断してサンダル履きだったので、けっこう痛い。なんとか足を引き抜いて、犬が落ちないように外側からガードする。
 そんな攻防をしばらく続けた後、無事に目的地に着いた。
 そこは前庭のある大きな家で、前庭に柵で囲った犬入れが2つあり、奥の犬入れにはシェパードが2匹入っている。とりあえず葉月を手前の空いている方に入れて鍵をかける。やがて奥からもう一匹大きな犬がでてきた。この家にはいったい何匹いるのか分からない。
 しばらくオーナーと話して、葉月をおいて家に帰る。葉月は2〜3日お泊まりである。
 その後編集部で週日仕事。今は、完成した新規の広告や前からの広告をアウトライン化し、台割りに従って集め、1ページに並べていく作業をしている。きちんと並んだらプリントアウトして、最終校正用にファイルしていく。
 更に中綴じの地図データを更新する。すべての広告主の所在氏を地図上に書き込んでいくのでけっこう手間のかかる作業である。
 一日かかってなんとか予定通りに終了した。明日はファイルを丹念に見て間違いを探し、訂正していく作業をする。そうやって何度も校正するのだが、それでも完璧と言うことはないから不思議である。
 

●2002年10月16日(水)

10月16日(水)はれ
 朝、ベスパのエンジンカバーを針金で縛る。これでしばらくは大丈夫だろう。そのまいつものように走るが、一日たっても問題なしだ。ブレーキの方は、相変わらず時々戻らなくなるが、だましだまし走れるので、1週間くらいは問題なさそうである。

 テキストエディターは結局みみかきエディットを使っている。設定をよく見たら、一行の文字数も指定できるし、行間も広げることができた。ただ、保存してワードで開くと行の設定が反映されないので、横にどこまでも長い書類ができてしまうが、全部を選択してコピペすればいいので、あまり問題はない。それにそもそもワードで開くのはウィンドウズに持っていったときくらいのものだ。
 
 ジャアクモバイル日記およびクマプー日記によると総帥とクマプーはおそろいで足の指がエイズになったようだが、これは祟りなのである。先日のジャアク宴会で、元南蛮亭店主K氏の像に酒をかけまくったのが祟っているのに違いない。なぜかというと、K
氏は生前、よく足の指が腫れ、歩けないと言っては仕事をさぼる口実にしていた。彼の親指(どっちの足だったかは忘れたが)も爪に問題があって、よく自分で爪を切っていたが、下手をするとすぐに腫れるのだった。
 それが祟ったに違いない。すぐにお祓いをしないと、やがて腹が出てきて頭が禿はじめる。そうなったら最後、もう飛行機には乗らない方がいい。いや、飛行機ばかりでなく乗り物すべてが危ないかもしれないぞ。
 お祓いの方法だが、またみんなで集まって、一番高い酒をガンガン空け、今度はかけたりせずに、きちんとお供えする。大好きだったマイルドセブンや333ビールもお供えして、みんなでにぎやかに酒盛りをする。これでご機嫌を直してもらうしかないだろう。にぎやかに飲むのが好きだったので、なるべく多くの友人を呼んでご馳走すべし。
 それまではせいぜい甘いもの、特にショートケーキなどを首からぶら下げておこう。足指の傷に生クリームを塗り込むのもいいかもしれない。何しろK氏は甘いものが大嫌いで、臭いを嗅いだだけで気持ちが悪くなったのだから。

●2002年10月15日(火)

10月15日(火)はれ
 ベスパは後輪の前にエンジンが付いている。キャブレターはシートを持ち上げて、小物入れをはずしてアクセスするが、プラグは後輪を覆っているカバーに付いている蓋をあけていじるようになっている。
 その蓋のロックがうまく引っ掛からない。もともとほんの少しだけ引っ掛かって止まっていたのだが、最近それがすぐ外れるようになってしまった。
 うちのベスパは蓋の外側にバンパーのようなパイプが伊達で付いているので、蓋は外れかかってもパイプに引っ掛かってとまり、脱落することはないのだが、走っているとカタカタとうるさいし、周りのベトナム人が親切に注意してくれるのもまたうるさい。
 ちょっとだけ引っ掛かりをよくすればいいので、ペンチを持ち出してあれこれ板金加工を試みた。多少ましになったような気がしたのだが、そのくらいでは工事中のでこぼこ道には通用せず、たちまち口を開けてしまう。これは修理に行かなければ、と思いつつ、走行に影響がないのでそのままになっている。
 そこに、更に右ブレーキの不調が加わった。ブレーキは普通レバーを握るとかかり、離すとどこかについているバネの反作用でもとに戻るのだが、それが戻らないのだ。といっても、レバーを握っているわけではないから、ブレーキが強くかかることはない。つまりブレーキをかけた後は、少しブレーキを引きずりながら走ることになる。
 走るのにはほとんど影響がないが、駐車場などでとりまわすときには、ちょっと困る。いつはとりあえず接合部周辺にSP27という潤滑剤を吹き付けたら直ったが、それでも時々ブレーキの戻りが悪くなる。
 こうなると問題なので、先の蓋と会わせて修理に行きたいのだが、今は入校前で忙しい。あと3日ほどで一段落するので、そうしたらベスパ屋に行って、一気に直してしまおう。

●2002年10月14日(月)
10月14日(月)はれ
 土曜日の夜、東京からのゲストを交えてタンダーに夕食にいく。川口探検隊長の家を越えて更に進むと、左側にビンクォイという場所が見えてくる。
 ここは広大な土地に芝生を植え、木を生やし、水路を造ってある公園のようなところで、中にはたくさんの竹のテーブルと椅子が並んでいる。週末のみビュッフェスタイルのレストランになっていて、入場料一人6万9千ドンで、点在する屋台の料理が食べ放題(飲み物は別料金)だ。残念なことに大音響でベトナムコメディが進行中で、それさえなければ静かで雰囲気があって、安くていいのだが。
 7時頃着いた我々は、ベトナム人一般客からすると遅い時間に入場したので、コメディは佳境。なるべく離れたテーブルに座るが、あまり遠くに行くと食べ物を取りに行くのが大変。その辺のバランスが微妙である。
 席を決めて食べ物を取りに行く。屋台風のブースの他、中央にやや大きな小屋があり肉を焼いていたり、スープを作っていたり。小さな動物の肉を焼いているのはどうやらネズミらしい。前々から食べてみたかったのだがチャンスがなかったもののひとつなので早速トライする。
 冷えた缶ビールを買って炊けテーブルに戻り乾杯!食事中にコメディは終わり、静かになった。虫の声が聞こえる。コメディではなく、ハワイアンをやって生ビールを売れば素晴らしいビアガーデンになるのに。経営はサイゴンツーリスト。最近は随分的はずれが少なくなってきたが、もう一工夫という感じは否めない。
 お茶やデザートの屋台もあり、食後のフォローも怠りない。夜なので周りの景色が分からないが、昼来たことのある人によると、全然雰囲気が違って、それはそれでなかなかいいようだ。
 ちょっとした問題は帰りのタクシー。何しろサイゴンツーリストの経営なので、客待ちのタクシーもサイゴンツーリストタクシーなのだが、この赤いタクシーは乗ってはいけないタクシーの筆頭なのだ。メータータクシーなのだが、メーターを倒さない、倒せと言うと、着く直前に料金の数字を消して法外な値段を請求する、メーターを改造してあるらしく、数字がドンドン上がるなどなどトラブルが絶えない。
 そんなのに乗って揉めるのは気分が悪いし、下手をすると危険なので、よほどせっぱ詰まって、いくらでもいいからタクシー!と言うとき以外は乗らないことにしている。で、他社のタクシーを電話で呼んだのだが、タンダーのはずれまではかなり時間がかかるので、30分くらいタクシー待ちをした。
 小さな問題はあったけれど、なかなかいいピクニックプレイスを発見できて、充実の夕食であった。

●2002年10月12日(土)

10月12日(土)くもり後あめ
 昨日は夕方から大雨になり、しばらく様子を見ても一向にやまない。このくらい降ると、雨自体もさることながら道が至るところで冠水して渋滞し危険なので、家に帰るのをあきらめて、雨宿りがてら外食にした。
 大雨は去ったものの、合羽を着なければ濡れるくらいの雨が降っている。メシの間合羽をバイクの上に広げておきたいので、屋根付き駐車場のある店を選ぶ。そうなるととっさに思いつくのは「膳」だ。だから膳に行くことにした。
 膳に行ったら、大雨のせいか客が少なく空いている。店主は7時頃にぶらりと出かけたまま戻らないらしいが、別に店主がいなくてもメシは食えるのでかまわない。と思ったものの、カウンターにいたUBチャンと中島さんの間に座っても、一向に注文を取りに来ない。生ビールを頼んだものの、お通しの野菜も出てこない。どうやら客扱いされていないようだ。
 あまり気にせず、ビールを飲んでいたらUBチャンが見かねてねえちゃんを呼んでくれたので、適当にオーダーする。出てきた料理をつまみつつビールを飲みつつ話をしつつNHKのニュースを見つつ新聞を読む。やはり松井は3冠王が取れなかった。オレの中で勝手に3冠王を取ったらヤンキース、取れなかったら残留して来年3冠王を目指す、と決めていたので、たぶん残留だろうと予想している。その他、清水の最多安打も阿部の3割もほんの少し届かなかった。桑田の防御率だけが主なタイトルのようだ。
 食べ終わったところで、UBチャンがクーロンには滅多に行かない、と言うので行くことにして店を出る。雨上がりのレタントン通りをベスパに2ケツしてクーロンへ。ここではたいていカウンターでウイスキーを飲む。ジャックダニエルかワイルドターキー、カナディアンクラブの中から気分で選ぶことが多い。昨日はJDを頼んだ。カウンター横のテーブル席にはスケッチ営業のアキエ、膳のカオル、フォトグラファーの高橋夫妻、川口探検隊長が陣取っている。やがて川口隊長は帰宅。タンダー方面は途中で大水が出ているはずだが、パジェロなら問題ないだろう。
 UBチャンと古いロックの話などしていたら、クーロンの兄ちゃんが爆弾発言。なんと今月で店を閉めるという。どうも契約で揉めたらしい。彼らは一度日本に帰って、捲土重来、またどこかで店を始めるつもりのようだ。しかしもったいないのは従業員のおねえちゃん。決して愛想はよくないが、いつも黙々、てきぱきと仕事をこなしている、ベトナム人には珍しいタイプである。彼女は客の相手をしなければならない店ではうまくいかないような気がするのだ。次の店をやるまで、どこかに預けておければいいのだが。
 JDを2杯で切り上げてベスパで帰宅。途中、少しの水たまりはあったが、特に問題なく家に着いた。

●2002年10月10日(木)
10月10日(木)はれ
 今日はみみかきエディットを使ってみよう。こちらは1行の文字数が指定できるし、フォントのサイズも選べるので、Yooeditより使いやすいかもしれない。でもどちらも行間の指定はできないようだ。だから文字が詰まって読みにくい。しかし只なんだから文句は言えないだろうな。
 木曜日は土いじりの日なので、BMWに乗ってビンユンの工場へ向かう。朝は曇っていて涼しく、郊外の空いた道をBMWで走るのはすごく気持ちがいい。工場について、いつもの場所で作業をはじめる。ボクが着くと自動的に3種類の土やへら、石膏版などが運ばれてくるので、大変便利だ。だが今日はいつも作業台代わりにしている大きな石膏版がなかったので、近くの小屋に探しに行った。
 そこで初めて分かったのだが、この石膏版は型の一部だったのだ。そこでは真空土練機で土を練って型に流し込み、鉢などを作っているようだ。そこで良さそうな石膏版を見繕って作業を開始する。
 今作っているのは創っているのはコースターと箸置き、キャンドルシェイド、ナプキンホールダーなど。中ではコースターが難しい。何しろ平らなまま焼き上がってくれないのだ。どうしてもそりが出るのだが、少しでも反るとコースターにならない。今日は8枚ほど作ったが、あとで工場長に聞いたら、厚みが足りないのではないか、という。次回からはもう少し厚くしてみよう。しかしあんまり厚いと格好が悪いので、もう少し試行錯誤が必要そうだ。
 その他のものは何となく形になってきた。ただ箸置きは素焼きではなく透明釉をかけた方がいいかもしれない。その方が清潔感が出るので、箸を置くにはいいような気がすのだ。いずれにしてもすべてのものがまだ完成品とは言えない中で、少しそれらしくなってきたのがキャンドルシェイドだ。売り物になるようならSCJで量産体制に入ってもらうつもりである。
 作業をしていると、おぐら君や日本人の新しい工場長楢府くんがSJCのベンツバンでやってきた。どうやらお客さんが一緒らしく、みんなで荷物を運んでいる。それからしばらくして川口社長がパジェロで登場。鉢用のデザインを転用した傘立てを見せてもらう。
 食事を終えて、帰路に就く。何度か工場に来ているが、この時間帯に雨に降られてことがないのはラッキーなのだろう。今日も雨に遭うことなく家に帰ることができた。

●2002年10月09日(水)

10月9日(水)はれ後あめ

 昨晩、ホッパーズカンボジア走行会の打ち上げが「膳」であった。参加者はカンボジアに行った10人のうち、7人と、行かなかったメンバーや、メンバーじゃあないけど話を聞かせろと集まってきた人たちも入れて、計11人。鮨をつまんで、一升瓶を2本とUBチャン秘蔵のラムを空けた。
 みんな写真を持って来るというので、デジカメ写真をiBookで見られるように、フォトアルバムのスライドショウ機能を5秒おきに設定して持っていった。乾杯後、紙焼き写真を見た後で、iBookを起動してスライドショウの開始。遅れてきた人にも見せたので、何度もiBookを立ち上げなければならなかった。
 お開き後、他のバーへ行くという連中と別れてクーロンへ、なぜか途中参加していた商社秋山と向かう。チャンポン酒でかなり酔っていたので、クーロンでさっとビールを飲んで帰ろうと思ったのだが、そこにはカメラマンTや某レストランが終わってからやってきた連中がいて、またもスライドショウなどをはじめ、気が付いたら商社秋山は去りかわりに川口探検隊長がやってきた。
 そのまま話し込み、時計を見たら1時半。まだまだ話が続く連中を置いて、家に帰った。

 今朝、iBookで仕事をしていて、ふと気づいたらMSワードの調子が悪い。メニューバーのプルダウンができないのだ。そうなるとすべてショートカットキーで操作しなければならず、「別名で保存」のようにキーの割り当てがないことはできないわけだ。初期設定を捨てたり、再インストールしたりしても回復しない。
 もともとMS Officeは壊れやすく、よけいな機能が多くてあまり好きではなかったのだが、世の中みんなが使っているので、持っていないと書類が開けない。それで仕方なく使っていたんだが、使っていればだんだん慣れてきて使いやすくなると言うもの。しかしここできっぱりとワードに頼るのをやめることにした。
 去年買った雑誌のおまけに着いてきたCD-ROMを引っ張り出して、フリーのテキストエディターを探す。「みみかきエディット」というのと「YooEdit」というのがあったので、両方インストールしてみる。使ってみて使い勝手のいい方をメインにしてしまうつもりだ。
 今日はYooEditで文を書いている。まったく問題ないが、行間が狭いのと、ワードのようにA4画面が出てこないの
で、どのくらいの分量を描いたのかがわかりにくいが、このへんは設定できるか、できないとしても慣れの問題なのであまり気にしなくていいと思う。
 この際だから、インターターネットのブラウザやメーラーもMSから脱却したいところだが、これはOSXになったときにしようかと思う。それまではフリーズが多いとはいえ使い慣れたIEとOutlook Exの組み合わせにもう少しお世話になりそうだ。

 夕方、雨の降る前に家に帰ろうとベスパに乗る。が途中で雨は降ってきて、しかも激しくなってくる。すぐに合羽を着たが、横からの雨で足の側面が濡れ、靴に水が入ってくる。足の間のバックにはiBookやPDA、デジカメなどが入っているので心配になり、雑貨屋の店先にバイクを止めて、バックをビニール袋で梱包する。
 これで雨が強くても一安心。と思ったらベスパのエンジンがかからなくなった。ついいつもの癖でチョークを引いてキックしたのだが、考えてみたらエンジンは冷えていないので、チョークを引く必要はなかったのだ。チョークを引いたのでプラグがオイルかぶりしてしまったのだろう。何度かキックするがだめである。
 幸い雨足が弱くなり、ほとんどやみかけてきたので、押しがけを試みる。が雨の中、合羽を着ての押しがけではうまくいくはずがない。普通なあら50mおき位に路上修理屋がいるので、持ち込めばいいのだが、大雨で修理屋も避難ているのかまったく見あたらない。何度か押しがけをしている内に、店を構えたちゃんとした修理屋を発見。ベスパをつっこむ。 
 カブを直していたオヤジは「ベスパは直せない」と言うが、「プラグだから。プラグの掃除くらいできるだろう」と一歩も引かず。ここで断られたら又しばらく小雨の中ベスパを押さなければならないのだ。なんとか言葉が通じたようで、オヤジはプラグを抜きにかかる。プラグは予想通りオイルで汚れている。さっと掃除して装着。エンジンは息を吹き返した。やればできるじゃん、と思いつつ、5000ドン払う。思ったよりも多かったのかオヤジはにこにこ顔だ。
 一度止まったエンジンを再キック。あれ、かからないぞ。オヤジはもう一度プラグを抜いて、ギャップをちょっと詰め、キャブレターのあるあたりに手を突っ込んでなにやらやりつつ、キックをしたらエンジン復活。さらにキャブをいじている。何だよ、ベスパのことも十分分かってるじゃあないか。
 今度はエンジンも止まらない。雨もほとんどやみ、無事家へ帰ることができた。

●2002年10月07日(月)

10月7日(月)はれ一時あめ
 先週はずっとホッパーズカンボジア遠征の余韻を引きずったまま過ごした。日記に書き続けたのもそうなら、2〜3日は何時間寝ても眠かったし、3回のマッサージにもかかわらず左肩は今だに痛い。
 そうこうしているうちに明日はカンボジア遠征の打ち上げだ。打ち上げなんぞはさっさとやっちゃうものなんだが、ベトナム在住だけで8人もいるので、スケジュールを調整していたら明日になったのだ。参加できないイーラだけが「他の日のアイデアもある」とか「もう少し遅くなってから」などとごねていたが、1対7で却下された。ヤツは仕事先のバンコクで一人でゴーゴーバーにでも行くしかないのだ。 
 明日の参加者はカンボジア遠征メンバーばかりでなく、カンボジアの地雷が怖くて参加を見合わせたチキン達もやってくる。チキン達がチキンを食べに来るのだが、チキンを連れてきてもいいことになっているので、あすはチキンづくしになるようだ。
 場所は「膳」。元「南蛮亭」が膳の前身だが、そこのカウンターで密談の結果、ホッパーズが生まれた由緒正しい場所である。幸い、チキンも豊富なので、これ以上の場所はないと言うくらいうってつけだ。
 どんなことになるのか楽しみだが、結果報告はまた後日。
 
 パームOSのPDAを愛用しているが、ふとその気になって少しカスタマイズしてみることにした。そういえばだいぶ前の雑誌の付録のCDにたくさんおまけのソフトがあったと思い出し、探したら出てきました。
 ゲームや便利そうなソフトをいくつかインストールする。インストール途中でPDAがフリーズし、「重大なエラーです」というアラートが出たまま、どうにもならなくなってしまった。電源を切っても再度スイッチを入れるとそのまま「重大なエラーです」が出っぱなしだ。マックなら対処法が分かるがPDAではお手上げである。
 説明書を見たらソフトリセットというのがあったのでやってみる。ウラ蓋にある小さな穴をクリップに先などでつつくのだが、まったく効果がない。そこでiBookにPDFの説明書があったことを思い出して立ち上げてみる。どうやらこっちが正式のマニュアルで、印刷されているのは簡易マニュアルらしい。そこに他の対処法があったのでやってみたらたちまち直った。まったく、焦らせるなよ。
 ゲームでは将棋が秀逸なのだが、指している途中で「これ以上の差し手は登録してお金を払ってから」と言われてしまう。う〜ん、ベトナムからお金を払うのはちょっと面倒なのだ。仕方なく削除。
 フリーソフトで面白かったのはストップウォッチ。パームがストップウォッチに早変わりだ。これはなかなか便利である。
 あとは著者の没後50年を経て著作権がフリーになった小説類を無料で読めるようにしてある「青空文庫」というもの。何となく存在は知っていたが、こんなにいろいろあるとは知らなかった。2〜3編ずつインストールしておけば、暇なとき文庫本代わりに重宝しそうだ。
 「青空文庫」はCDに入っていたもの以外のもいろいろあるようなので、一通り読んだらHPからダウンロードするのも良さそうだ。さらに使い勝手がよくなって、ますますPDAが手放せなくなってきた。

●2002年10月04日(金)

10月4日(金)はれ一時あめ
 カンボジアその5

 道の途中で玉ちゃんが手を振っている。そこはバナナとレモンを売る小さな路上スタンドで、左奥の家はカフェ兼バイク修理屋だ。玉ちゃんのバイクはすでに修理をはじめている。玉ちゃんが「ここにはビールがあるぞ」というが、さすがに誰も飲もうとはしない。イーラが持っていたペットボトルの水にレモンを搾ってみんなに勧める。レモン水がうまいぞ。
 このまま玉ちゃんを待っていると、全員飛行機に乗れない可能性があるので、先に行ってもらうことにした。オレと玉ちゃんがぶっ飛ばせば途中で追いつく可能性もあるし、万一追いつかなくてもオレ達は明日帰るから問題はないのだ。
 走り去るみんなを見送りカフェ(というか小屋)に入って休む。玉ちゃんのパンクは2カ所で、兄ちゃんが一人でせっせと修理している。30分ほどで修理が終わり、3ドルという法外な修理費を払って、我々は先行隊を追いかけはじめた。
 山を下りて舗装路をしばらく走ると、雨が降り始めた。合羽を着て先を急ぐ。雨粒がヘルメットの隙間から顔に当たって痛い。それでもかまわずドンドン行く。途中の川に木の橋が架かっている。先を行く玉ちゃんはうまく渡ったが、オレはカブのおばちゃんを追い越せないまま、トラックが橋の半分以上を塞ぐところまで着いてしまう。
 橋には車のタイヤがあたる部分に2本、太いレールのように縦に板が渡してあるが、その板の下を走っていたおばちゃんは、トラックをパスするために板の上に上がらなければならない。雨に濡れて滑りやすい板ですべって、おばちゃんは転倒。完全に行き先をふさがれてしまった。
 仕方なくおばちゃんのカブを起こし、板の上に乗せてやる。そうしないと自分も進めないのだ。おばちゃんがどいて空いた板の上に上がろうとするが、ちょっとした段差で滑って、バイクは横を向いたしまった。ケツをふって滑るので、ほとんどトラックにあたりそうだ。ゼスチャーでトラックにバックしてもらい、なんとか脱出。いらぬところでロスタイムだ。
 すぐにホテル前のロータリーに出る。玉ちゃんがガソリンスタンドで待っていたので給油して出発。相変わらず雨はやまない。道は狭いが一応は舗装路だし、交通量も少ないので、ガンガン飛ばす。ここからの距離は200km、3時間かかるとすると5時にはプノンペンに到着だ。5時半にホテルを出ればフライトには間に合うだろうが、とにかく余裕はほとんどない。
 やがて雨は上がり濡れたブーツも乾きはじめるころ、小さな街で手を振るUBチャンを発見。アクセルワイヤーが切れたとかで修理中。他の連中は給油中だ。やはり追いついたのだ。
 他の連中はすぐに出発し、日本人組は修理を見守る。ところがここのオヤジは見るからに不器用で修理は遅々として進まない。決算期で忙しいからどうしても明日は会社に行かなければならないと言うUBチャンの顔つきが厳しくなってきた。なに、いよいよ間に合わなければタクシーで国境へ行き、朝一で国境を越えてバイクタクシーを飛ばせばいい。それなら10時にはオフロードブーツにどろどろのシャツで出社できる。などという話が冗談から真実に変わろうとしている。
 やっと修理が終わり、玉田戦闘隊長を先頭にカンボジアの狭い国道をぶち飛ばす。スピードを出すだけなら120km走行も可能だが、カンボジアの車やバイクがどう動くのか、イマイチ予想ができないため、不意に変な動きをされてもいいように慎重に走らなければならない。それでもさすがは戦闘隊長、ほぼ100kmオーバーのスピードで突っ走った。
 街もだいぶ近づいて来たようで、交通量が多くなり、なかなかスピードが上がらない。それでも内抜き外抜きを繰り返して進むと、やがて右手に空港が見えてきた。そこからは市内の渋滞をぶっちぎってホテルに到着。ちょうどリチャードが出てきて車をオーダーしている所だった。奴らもちょっと前に着いたばかりらしい。UBチャンは荷物置き場にしている部屋に走り込み、着替えを済ませて裸足で出てきた。全員シャワーも浴びないまま車に乗って空港に出発した。
 残った玉ちゃんとオレは改めてチェックイン。シャワーの後でヘンドリックに電話をする。ヤツはみんなが荷物置き場に使っていた部屋にもう一泊だ。ヤツの部屋に行き荷物をピックアップすると、なんとそこにはみんなが持って帰るはずだったクマプーのバックが2つ、ポツンと置かれているではないか。
 6人に対して1人分増えるなら、持ち運びも重量もたいしたことはないが、明日ベトナムに戻るのはオレ1人。ということは2倍の荷物を持っていかなければならないわけだ。トホホ。まあいいや、重量オーバーならクマプーにツケるし、空港までのタクシー代だってシェアーと言うことにしよう。
 その夜は3人でマレーシア料理をむさぼった。何しろ昼飯も食わずに走ってきたのだ。さんざんビールを飲んだ後、ハートオブダークネスに行って更にビールをピッチャーで飲む。いつの間にか外は雨。バイクできた我々は帰れないので、そのまま更に飲む。
 小振りになったのでホテルに戻り、マッサージはどこかと聞けば、部屋に呼べるという。ここはカンボジア、ベトナムよりはタイのシステムに近いようだ。
 ゆっくりとマッサージをしてもらい、しっかりと寝たのは言うまでもない。


-了-

●2002年10月03日(木)
10月3日(木)はれ後あめ
カンボジア4

 土曜日は遅くにカンポートに着いたので、夕方攻めるはずだった山に行き損ねた。そこで日曜日の朝、山に行き、そのまま舗装路をプノンペンに戻るように予定を変更した。舗装路ならプノンペンまで3時間ほどで戻れるのだ。
 日曜日の夕方にフライトのない玉ちゃんとヘンドリック、フライトはあるが
1日余裕を見たわたし以外はみんな6時50分の飛行機でベトナムに戻るのだ。クマプーは2時の飛行機で戻り、そのままトランジットで香港に行くので、山に行かず直接一人でプノンペンに戻るという。香港には仕事で行くので、遊びの荷物はプノンペンのホテルに残していくからベトナムまで運んでくれ、とUBちゃんに頼んでいる。
 朝食後、バイク屋へ。イーラのフロントブレーキのパッドがなくなってしまったのを修理する。カンボジアではこんな田舎でもちゃんと部品があった。
 修理後クマプーと別れ、一同山へ出発。山は全体が公園になっているようで、入り口で一人5ドル+500リエルを払う。道は大昔の舗装がはがれたところにこぶし大の石をまいた、バイクがもっとも苦手とする路面だ。そんな路面の山道を20km程登るのだ。山道と言っても観光道路なので車やバイクもとおるし人も歩いているので、注意しながらめいっぱい飛ばす。先頭のダンがかなりのペースで走るので、着いていくのに精一杯だ。
 途中見晴らしのいい場所で休憩してからは少しペースを落として、頂上へ向かった。頂上で道は2つに分かれ右に行くと滝、左は昔のフランスリゾートの廃墟がある。まず廃墟へ行くことにして出発。先頭のリチャードに付いていく。しばらく先の2又で後続を待つが、一向に現れないので戻ってみるとイーラのバイクがまたもやエンジンがかからず、押しがけをしている。
 やっとエンジンが掛かり、廃墟へ。開けた場所に協会や元カジノ、おそらくは人工湖だろう、小さな湖、ほとりのロッジなどが点在している。カジノの前にバイクを止めて中に入る。前には「ここで寝るな」という看板が立っている。
 一渡りカジノを見て出発。12時近いので、滝には行かず山を下りないと飛行機に間に合わない可能性があるのだ。教会の横でバイクを止めて写真を撮っていたら、後ろを走っていた玉ちゃんだやってきて、「マフラーがぐらぐらしている」という。確かにしばらく前から何かがカタカタ動く音がしていたのだ。
 見るとマフラーとフレームを止めているボルトが飛んで、ギャップの度にマフラーが上下し、中程のボルトもゆるみ出している。持っていた電線の切れっ端で縛って走る。3叉路まで来たら玉ちゃんが停車。なんと前輪がパンクしている。エアーポンプを出しついでにマフラーを見たら縛った電線はすでに跡形もない。
 ダンが落ちていた釘をくれたので、今度は釘をつっこみ先を曲げて電線で縛る。玉ちゃんは修理していては時間がかかるので、そのまま次のバイク屋まで走るという。
 先に走り出した玉ちゃんを追うように我々も出発。途中でマフラーを点検したら、釘は跡形もなく消えていた。なにか代わりのボルトをつっこまないとだめだ、と思い、はずせそうなボルトを探す。あった。2人乗りようのステップを止めているボルトはとりあえず必要ないので外してマフラーを止める。
 その間に先行した玉ちゃんを追うが、なかなか追いつかない。あんなタイヤでそこそこ速いとはさすがである。結局山の中腹のバイク屋まで追いつけなかった。

 まだまだ続く

●2002年10月02日(水)
10月2日(水)はれ後あめ
 ホッパーズカンボジア遠征その3

 炎天下の押しがけでなんとか復活したイーラのバイク。気を取り直して、太陽の位置で方向を確認しながら南へ向かう。やがて今度は完全に壊れた橋と、大きく水たまり状に広がった川が現れた。何人かが歩いて水の浅瀬を探す。そこにカンボジア少年がやってきて、ここが浅いとばかりに水の中を歩いて教えてくれる。
 最初の水たまりを渡って中州までは30cm程の水深なのでほとんど問題はない。その先は向こう岸近くで深くなっているようだ。一人ずつ慎重に渡っていく。先頭のヤツはかなり深い部分を通ったようで、後輪がほとんど水没する程だ。とはいえそれは一瞬なので、エンジンをふかして排気ガスで水を押しのけていれば、あまり問題はない。最悪なのはビビッてこけることだ。
 ところがカンボジア少年は、こっちの方が浅いよ。とでも言いたげに再度微妙に違うルートを教えてくれている。しかしそっちを見る余裕もないのか、後続はみんな先頭車と同じ深みのルートを通っていく。
 わたしは当然カンボジア少年の示すルートを行く。そこは本当に一番浅いようで、水は膝下までもなく、ブーツが濡れただけであっさりと渡り終えた。
 みんななんとかコケもせずに渡り終えて、さあ、出発、となったが、ドクター・リチャードのスズキのエンジンがかからない。何度もセルを回すが、だめ。またもや押しがけである。2度、3度と試みて、疲れ切ってへたり込み、休憩。
さらに押しがけするが、エンジンはどうしてもかからない。 
 バイクでバイクを牽引することになり、ロープで2台を繋いで、ゆっくりと引っ張る。直線はいいのだが、道がするどく曲がっていたり、上り下りがあるたびにロープをほどき、スズキを押さなければならない。ダンの予測ではもうそろそろメインロードに出るはずなのだが、走っても走っても田舎道は続いている。
 やっとの事でやや大きめの道との交差点に出た。交差点は集落になっていて、バイク修理屋や食べ物、飲み物、ガソリンなどを売る店がある。スズキの修理は専門家に任せておいて、とにかく休憩だ。関係のない店の店先にハンモックを見つけたので、勝手に横になる。
 5分くらい半睡し、ビスケットを食べ、レッドブルを飲んだら少し元気が出てきた。顔面蒼白で熱っぽいと言っていた玉田戦闘隊長の体調もだいぶ復活した様子。スズキはセルに水が入っていたのを抜いたら復活した。ガソリンを補給して村人に道を聞き、カンポートを目指す。
 右手に低い山が見えてきた。夕日が山に落ちかかり、田園風景がだんだん暗くなっていく。そんな風景の中を走っていたら、やっと舗装のメインロードに突き当たった。右折して更に走る。とっぷりと日が暮れてから、我々はカンポートに到着した。

まだまだ続く。

●2002年10月01日(火)
10月1日(火)はれ
  カンボジア2

 土曜日、地図と各自の携帯番号が配られた。これではぐれてもなんとか連絡が取れるわけだ。出発、と思ったらヘンドリックのXRのエンジンがかからない。何度もキックをするがだめだ。ガソリンは入っているがかなり少ないので、キャブに十分なガソリンが流れないのではないか、と思い、ガソリンを他のバイクから移そうと、その辺に転がっていた水のペットボトルをヘンドリックに渡したら、なにを勘違いしたのかヤツは中に残っていた水を一気飲み。すぐに止めたが時すでに遅し。

 ホテルの従業員がコーラの空き瓶に買ってきたガソリンであっさりエンジンが掛かり、出発だ。ダンを先頭に進む。道はすぐにオフロードになり、田園風景の中を10台のバイクが走る。このへんはそこら中がオフロードなので、ダンも正確に全部の道が分かっているわけではないらしく、しょっちゅう止まってトムと地図を確認する。
 後で聞いたら、2本の国道の間を走っているので、だいたいの方向を決めておけばルートを大きく外れることはないのだ。とはいえ10台ともなるとバイクの調子が悪くなったり、身体の調子が悪くなったりなかなかスムースには運ばないのだ。

 くねくねと気持ちのいい田舎道を走る。途中でインスタントラーメンの昼食を挟んで道を聞きながらカンポートという海沿いの街に向かう。最初の難関は小さな川に架かった橋。縦の木の骨格はしっかり残っているが横の木が所々ないのである。それを見たダンは川へおり、浅そうな所をさがす。次を走っていたわたしのバイクは10台の中でも一番タイヤが坊主に近いので、マッドな所はやばいと思い、橋へ。こんなのは日本の教習所でさんざんやらされた一本橋に比べれば楽勝なのだ。

 渡りきって下を見ると後続はダンに続いて川渡りの方へ向かっている。ダンが川につっこむ。ホンの3m程の川なのだが、反対側がかなり深く、ヤツのバイクはいきなり沈んで、前輪をなんとか岸に上げた状態でストップ。他はみんな橋の手前か川の手前なので、仕方なくバイクを止めてダンの救出に向かう。引っ張り上げてふとみると今度は橋で大騒ぎ。
 ダンの失敗とわたしの成功を見て、まだ川におりていなかった連中が橋を渡りだしのだが、先頭のイーラが見事に失敗したのだ。バイクは前方を橋の下に出して縦に宙づり状態で止まっている。イーラはうまくバイクを降りたようで何事もなく呆然としてバイクの横に立っている。4人係りで引き上げる。2つの失敗で後は全員バイクを押して橋を渡ることになった。
 分かれ道で後続を待つが、一向に来ない。仕方なく戻ってみると何人かで押しがけをしている。イーラのバイクのエンジンがかからなくなったのだ。Bajaにはキックペダルがないのでこういうときは本当に困る。セルスターターは便利だが、いざというとき押しがけしかできないのでは、とても少人数でツーリングに出かけることはできない。本当にオフロードを走る人が設計しないとこういうばかげたバイクが誕生するのだ

 さらに続く

 

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