玉田米二郎
マレーシア電機業界報告

執筆担当
ジャアク商会マレーシア支局長
玉田米二郎


2001年9月のバックナンバー
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9月17日(月)

 今日からいよいよ 玉ちゃんのマレーシア熱帯レポートをスタートします〜!

 ……っといっても、ベトナムの石原氏の様に日々おこったことを日記形式で書くのは小生には辛い。だから当分の間は小生がマレーシアに来てから起こったことや感じたことを記憶にある範囲でレポートしていこうと思ってます。

 何か、緊張してるのか、のっけからやたら文章が硬いやんけ。
『おもろないぞー!』
 って言われそうやから、竹やんばりの関西弁レポートにしょうかな。

 僕がここマレーシアへ来たのは去年の3月で、日本の電機部品メーカーで研修を受けていたら、いきなり、『すぐにマレーシア行ってくれるか?』って言われ、それが内示やったわけで、それから2週間後にシンガポールの国境の町 ジョホール バルってところに送られましてん。
 そこは、主にアメリカ、日本、ヨーロッパ向けのオーディオに使う電機部品を造る工場で、着任の次の日の勤務がいきなりAM8:00〜AM1:00っていう いわゆる“鬼忙し状態”の中で僕のマレーシアライフは始まったのでした。
 一週間もすると、結構慣れたんやけど、基本的に工場勤めってのは僕には合ってないっていうか、外に出ることはほとんどなかった。メーカー勤務の人らはずーとこんな生活パターンやから、慣れてるんやな。僕はかつては、通称 ”歩く総合商社”といわれ、絶えずうろうろ商売を探していた人やから、毎日がごっつい苦痛やったわ。
 一応、肩書きはセールス マネージャーやったのに。
 ジョホール バルってところは橋を渡ればシンガポールやから、週末なんかはシンガポールからの“買い物野郎”で大渋滞したりしますねん(マレーシアの方が物価が安い)。
 行動はほとんど車やから、夕方なんかは外に出る気を失って、ホテルでインド映画ばっかり見てました(僕は結局その後7ヶ月位 ホテル住まいをしていた)。

 話し変わるけど、インド映画は、はまるよ。すっごい悲劇的ストーリーを展開してると思ったら、急に無駄な動きの多い変なダンスを踊りながら、カナキリ声をあげてお姉ちゃんとお兄ちゃんが歌いだすねん。 それが済んだらまた、悲劇的ストーリーが急に復活すんねん。
 それをビール飲みながら見るのが僕のジョホールでの趣味でした。
 ほな、また明日。

タミール玉田

 

9月18日(火)晴れ KL

人間関係はドロドロ”の巻

 昨日からスタートした電機業界報告やけど、皆のようにスラスラってわけには行きませんわ。これも慣れやろうから出来るだけ毎日 続けるつもりやから、宜しく〜。

 さて、今日はマレーシアに来て、一番奇怪に思ったことを書きますわ。
 この国は言わずと知れた他民族国家なんですが、日本では案外マレー民族のことは知られてないんと違うかな? シランのは僕だけか?
 いや、一応貿易屋の僕はいろんな国の人々とおつき合いしてきたから、2人ぐらいはマレー人を知ってたけど、1人は中国系のやつでオクマン君といって、車漁りみたいなことをしていた。もう1人は前の前の会社にいたニザムってやつで、彼はマレー系やったけど、田中健そっくりで、めっちゃ男前やし、茨木大学卒でほとんど日本人と変わらんかった。だから、ここに来るまではいわゆるマレー人の印象はすごく良かった。
 ところが、ここに来てみるといろんな顔のやつがおるんや これがっつ。インド人とマレー人の違いも一見すると良く分からんし、中国人ゆうたって色々おるし。ほんで、お互いの人種がかなり仲が悪いねん。だから、ジョホールの前の会社でも事務所は中国人が多く、現場を仕切るのがマレー人やった。前の会社では管理職にはインド人はいてなかった。 というのも、日本人がよう管理せんからやろ。
 この国は『ブミ プトラ』という政策を採っているが、これだけ聞いたら何のこっちゃ全然わからんでしょ? これは主にマレー人を優遇する政策で、モスリム(イスラム教徒)のマレー人には、税金、職業、家賃 他いろいろの特権がある。もちろん有力者の中には金にものを言わせて、にわかモスリムになって、ブミになり、ダトーとか、タンスリとかいうわけの分からん称号を持ってる 中国人、インド人、日本人?もいる。
 とにかく、平等じゃないのよこの国は。 だから、中国人もインド人もいつもイライラているように見える。誰の目にも中国人やインド人の方が相対的にみれば優秀に写る。
 この間、ドクター マハティール首相がマレーシアの国会議員を前にして
「おまえらがアホやからこんな政策採ったってんのに、それにあぐらかきやがって!!」
 みたいなことを言って、喝を入れたはった。彼も大分イライラしてる。
 今、僕がおつき合いしているのは大半が中国人。インド人でつき合いしてるのはジョホールの散髪屋のおやじ(インドのタミール地方に妻子を残して、出稼ぎ散髪をしてるおっさんで、散髪の腕はベトナムで愛用?していた、にいちゃん以上。)と、車洗いのインド人兄弟(やたら愛想がいい)。それと、麻薬取り締まり官のジャヤってやつぐらいかな。
 こないだ、中古のゴルフ用品を日本から輸入して、インド人に売ったけど、2ヶ月たっても資金回収でけへん。あいつら計算早いし、まんまとやられそうやけど“浪速の商人”は負けまへんで!!(せやけど、99X99まで暗記しとるらしいで?)
 インド映画は大好きやのに何でこうなるんかな?
 今日はぼつぼつこの辺にしときまっす。 明日はマレーシア華僑について報告おば。

左手でおしりを拭けない玉ちゃん

 

9月19日(水)KL

「ぼくはホッケンが好き」の巻

 昨日はマレー人やマレーシアのインド人のことを書いたけど、とある人から人種的偏見を持ち過ぎとの御忠告を賜った。でも、マレーシアではこれはお互い様の問題であり、他民族国家が抱える問題点を指摘したにすぎないのであります。
 ほんで、今日は懲りずに中国人のことを書きますけど、マレーシアには様々な地方出身の中国人が混在してんねんけど、僕が最もつき合いしてるのは「福健人」こちらでは「ホッケン」と発音する。日本では最近この福健人のマフィアが事件を起こしてるし、密入国者も大半が彼等ってことやけど、要するに中国の中でも人口が多くて、貧しい地域やから、現在はそんな状況になってると思うねん。
 ここにいるホッケン人は昔からいるわけで、海外に出るのも今と違がってあんまりギャーギャーうるさくなかったんやろな。僕が今いるクアラルンプール近郊は錫の鉱山で有名らしく、その労働者としてかなりの中国人がやって来たらしいわ。
 僕が何でこのホッケン人とばかりつき合うかというと、彼等は他の人種や他の中国人よりかなり勤勉やからやねん。少しの利益でも夜遅くまで一生賢明働くっていうのが僕の彼等に対する印象やね。
 それに対して、クアラルンプールの中心部に比較的多いのが「広東人」や。町中では広東語が飛び交っていることが多いけど、数ある中国語の中でも最も下品に響くのがこの広東語だと僕は思う。日本語でいうたら関西弁みたいなもんかな。

 でも、ホッケン人はあまり広東人が好きで無いらしいし、彼等に言わせれば、後から来た成り上がり者が多いらしく、一種の嫉妬かもしれんな。
 この他、マレーシアには「潮州人」(テオチュウと発音する)、「客家人」(ハッカーと発音する)、あと 『ケー』とかいう人々もいたが、どんな漢字かもわからん。
 それぞれに食べ物の好みも違うけど、やっぱり僕はホッケン味が好き!
 明日からベトナム北部山岳部走破作戦参加の為、2週間ほどベトナム行くねん。ついでに僕がセールスマネージャーをすることになった『八大食品』のカツオ出汁パックの売り込みに行きまんねん。
 まだ、読者なんかいてないやろけど、暫くお休みさせて頂きます。
 “カツオ風味のフンドシ〜♪”ってか?

 

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