ベトナムの山野を駆け巡る怒濤のオフロードバイク集団

サイゴンホッパーズ行状記

by  サイゴンホッパーズ記録課 笹原亮

実業之日本社 月刊 Garrrr! 98年5月号掲載

 

 ベトナムのホーチミン市にサイゴンホッパーズという二輪オフロード愛好クラブがある。年齢もまちまちならバイクの経験もまちまちと言ったまとまりのない集団だ。暇な日曜日に集まって、山道や堰止湖の湖畔を走りまわリ、その晩は反省会と称してビールを飲んでさわぐ事を主な活動目的としている。

 現在、メンバーは7人。全員ヤマハのDTに乗っている。オフロードバイクはロシア・旧東欧製を除いてほとんどチョイスがないのだ。5人がDT175空冷、2人がDT125である。
 メンバーをざっと紹介しておこう。

 

...........................................................................................................

1. アタマ、石原文春。通称「ミッキー石原」。39歳。グラフィックデザイナーで三日堂デザイン本舗の社長。
 歳の功で会長にしてもらっただけなのに、勝手にアタマなどと称し、一番速いから会長になったと思い込んでいる元気なオヤジ。

2. バーニー玉田。サイゴンホッパーズの戦闘隊長兼メカニック。33歳。元ラリー/モトクロスの本物のレーサーで、アメリカン・フットボールのワイドレシーバー。
 アグレッシブな走りからは考えられないような大阪芸人。

3. 会計長のUB。34歳。某日本企業でアカウンティングを担当しているため、自動的に経理をまかされているが、けっこうドンブリ勘定をする。
 オフロードバイクにはベトナムに来て初めて乗ったのだが、ロードバイクで鍛えた渋い走りで、いつもしんがりをつとめる。

4. アドミニ、山本マサフミ。通称「クマプー山本」。27歳。ベトナム在住5年の某商船会社社員。
 日本では免許もないのだが、元ラグビーのプロップだった突進力で、オフロードの腕をぎしぎし上げてきた。酒の席で裸になるのと、泥にまみれるのが趣味。

5. サイゴンホッパーズの戦闘隊員、オレンジマン。29歳。大手企業の技術駐在員。
 会社に内緒でバイクに乗っている。日本ではほとんど乗ったことがなかったのだが、持ち前の運動神経でみんなについていく。現在アクセルターンの練習中。

6. コックのホン。通訳。22歳。サイゴンホッパーズ唯一のベトナム人。
 ベトナムではほとんど人気のないオフロード車に乗るだけあって、性格も変わっている。DT125水冷に乗る。

7. ゴルフ部員のアクシー大島。27歳。
 クマプー山本と同じ会社で仕事をしているのだが、ゴルフのつきあいが忙しく、バイクに乗る時間がとれないのが悩み。DT125空冷に乗る。

.............................................................................................................

 

 雨季も終わりに近づいてきたある日曜日、いつものように暇なメンバーがホーチミン市郊外のジョリー・ビーというハンバーガー屋に集まってきた。
 メンバーの恰好はばらばらだ。バーニー玉田のようにアライのヘルメットにAXOのブーツでキメているやつから、溶接用のゴーグルにサッカーのキーパー用のジャージ+グラブ、スケボー用のニーパッド、サッカーのすねあてと全て現地調達のやつまでいる。オレンジマンのキーパー用のジャージは250円程度で買ったのだが、ギンギンの蛍光オレンジで、「いっしょにいるのは恥ずかしいが、走っているときどこにいるか一目でわかっていい」というのがみんなの意見である。バイクの部品はなんとか現地調達できるのだが、オフロード用品となると皆無で、グラブひとつ入手するにも日本へ行く人に頼まなければならないのだ。
 ミッキー石原などは短ブーツにヒザ下までの革のスパッツをオーダーメイドして足元を固めている。乗馬ブーツのようで格好いいと本人は思っているようだが、SM女王様の衣装に見えなくもないと言うメンバーも多い。

 

 午前9時半、コーヒーを飲んで出発だ。今日はチアン湖という、街から60kmほど離れたところにあるダム湖の周辺のジャングルの中の道を攻めようということになった。そのあたりは元ベトコンゲリラの集結地で、それをつぶす目的も兼ねて大きなダム湖を作ったという噂もある。今は国の保安林になっているため、原生林が残されていた。ベトナムはけっこう山奥まで人の手が入っていて、原生林はずいぶん少なくなってきている。
 今日の参加者は5人。コックのホンとアクシー大島はお休みだ。

 ベトナムといってもホーチミン市は大都会。車に加えてバイクの数がとても多い。だから市街地はけっこう混んでいて、市民は20〜30kmのスピードで走っている。そこを先頭に立ったバーニー玉田が、ジグザグ、横抜けとテクニックを駆使して走る。他のメンバーも遅れまいとガンガンとばす。こういう時は2サイクルエンジンの瞬発力がうれしい。

 30分ほどで渋滞の市街地をぬけた。韓国の援助で造られたため通称コリアン・ハイウエイと呼ばれる環状線から左折して幹線道路をビエン・ホア方面にひた走る。すると突然クマプー山本がスピードをゆるめた。前輪のパンクである。なにも知らない先頭集団の3台はたちまち走り去ってしまった。

 今日、彼はゴルフで忙しいアクシー大島のバイクを借りてきていた。実はクマプー山本は先日接触事故を起こし、バイクは警察にお召しあげとなっていたのだ。事故当事者同士の話がつくまでバイクは返してもらえない。クマプー山本の相手は金持ちのボンボンで、明らかに非があるのに、「警察に出頭するくらいなら、バイクなんか返ってこなくてもいいもんね」という態度なので、クマプー山本のバイクもいまだに警察のパーキングにあるというわけだ。

 警察のパーキングといってもけっして安全ではなく、日本製のエンジン内部の部品がほとんどベトナム製に換えられていた、などということも平気で起こるのだ。といって24時間見張っているわけにもいかず、「オフロード車は人気がないし、部品入手も難しいから大丈夫だ」とクマプー山本は勝手に決めているのだった。

 

 ベトナムの主要移動手段はホンダのカブなので、主要道路のあちこちにパンク修理屋が店を出している。そんな中から比較的腕のたちそうなオヤジを在住5年の勘で選び出して、クマプー山本はバイクを止めた。

 パンク修理は日本と一味違った方法でやる。ホイールをバイクからはずさずに、自転車のパンク修理のようにしてタイヤをはずす。最初は、そんなんじゃ力が入らないから、スーパーカブのヘロヘロタイヤははずせてもDTのは無理だろうと思ったものだが、どんな小さな修理屋でもみんなそうやってタイヤをはずす。中にはタイヤレバー1本で最初から最後まで仕上げる剛の者もいて、見ているだけでもけっこう楽しい。パッチも日本のような市販品は使わずに、古チューブを適当に切って糊をつけ、ピストンを改造した圧着器ではさんで火を燃やして熱圧着する。

 パンクの原因は空気挿入バルブ(いわゆるムシ)のつけ根の亀裂と判明。日本では新品のチューブに換えるしかない状況だが、ここでは21インチのチューブは簡単には入手できない。と、オヤジはバルブを切り取り、チューブの中に入れ、別の部分から出して固定し、元バルブのあった場所にあいた大きな穴をふさぐといった、なかなかお目にかかれない技を使ってパンクを直してしまった。

 心配して戻ってきた先行組と合流し、50円ほど払って出発だ。けっこう腕のいいオヤジだったので、勝手にホッパーズ指定工場に認定した。こうして指定工場、指定ガススタンド、指定コーヒー屋などが増えていくのだ。

 

 ビエン・ホアの街をすぎ、ドンナイ川沿いの道を20km程さかのぼると、道は突然ダートになる。昔はビエン・ホアからずっとダートだったのだ。最近ベトナムでは急速に道の舗装化が進んでいる。とはいっても日本に比べればまだまだ別世界のオフロード天国で、100kmを越える長さの未補走路がいくらでもある。日本でバイクに乗ったことのないクマプー山本などは、こんなのが当たり前と思っているようだ。彼はいかに自分のいる環境がオフローダーにとって素晴らしいか、まだよくわかっていないのだ。

 低い丘のうねりの中を道は続く。右手の丘陵地に広がるゴム園の周りの道なども恰好のオフロード・フィールドなのだが、今日は寄り道せずに、チアン湖をめざす。それにあと10km程で最初のホッパーズ指定休憩所があるのだ。みんなの目には、休憩所にあるビールとベトナムの蕎麦「Pho」がチラついている。指定休憩所で一息入れて出発。チアン湖はもう目の前だ。

 

 チアン湖は大チアン湖と小チアン湖のふたつのパートに分けられる。ホッパーズは主に、小チアン湖の北側で活動している。大チアン湖はホーチミン市がスッポリ納まるくらい大きく、周回できる道もない。

 左回りに小チアン湖を周っていくと、堤防の上をまっすぐに走る道に出る。そこで突然バーニー玉田がダッシュした。なにごとかと思って追いかけたが、バーニー玉田の頭の中にあるスイッチが暴走モードになっているので、だれも追いつけない。あとでなにかとたずねたら、最高スピードを知りたかったからとか。なーんだ。ちなみに結果は130kmとのことだった。

 発電所を過ぎたあたりから、道はダートに変わる。しばらく行った右手の、道と湖の間の空き地が、われわれのピクニックフィールド兼練習場だ。もっとも今までにピクニックをしたことはない。ちなみにこの空き地はだれ言うことなく「蟻が原」と呼ばれている。一番最初にここに来たとき、ユーカリに巣くう赤蟻に刺され痛い目にあった者がいたのだ。ベトナムの赤蟻は強力かつ凶暴で、刺されるとものすごく痛く、1週間ほど腫れ上がることがあるので要注意だ。

 

「蟻が原」の蟻のいなさそうな木の下に荷をおろした。すぐにみんな勝手に走りまわり始める。このあたりの地面は決してフラットではなく、うねりがあったり溝があったりして侮れない。その上に灌木や背の高い草が生え、地形をかくしているので、うっかりすると大きなダメージを負う。

 しばらくすると、皆がジャンピングスポットに集まり始めた。助走途中の20cmほどの出っ張りをまず軽く跳び、20mほど先の50〜60cmの段差を登りきってジャンプ、着地、すぐに右コーナーというけっこうトリッキーなスポットである。ミッキー石原やバーニー玉田が気軽に跳んでいるのを見て、初挑戦のオレンジマンがアクセルを開けた。スパッと空中に飛び出し、若干前輪が先だったもののまずまずの着地をし、一同パチパチと拍手の構えをした途端、右コーナーを曲がれずに灌木に突っ込むオレンジマンのバイクが見えた。
「いやー、なんやワカランけど、うまく跳んだなーと思うたら、止まりませんねん。で、つっこんでしもた」
 オレンジマンの口から威勢のいい関西弁が飛び出し、一同爆笑。ラッキーなことにバイクも体もほとんど被害はなかった。

 木陰に座ってオレンジマンがバーニー玉田にジャンプの要領をきいている。ミッキー石原は勝手にクマプー山本のバイクから工具を取り出して、チェーンを張り出した。そのそばでクマプー山本とUBがバイク談義をしている。真昼の強力な日差しが照り付けている。

 突然、クマプー山本がUBのバイクのスプロケットを指差した。ナント2週間前に新品を買ったスプロケットの歯が波形に変形しているではないか。
「チェーンも換えようと思ったんだけど、在庫がないっていうから、ローカルのチェーンよりいいと思って、注文したんだ。」
「それにしても2週間でこんなになる?」
「輸出仕様で焼きが甘いンとちゃうやろか」
 などと言ってみても、波状の歯は元には戻らない。UBはジャングル攻めをあきらめ、一番近くの街の指定工場に一足先に行ってみんなを待つことになった。

 

 UB以外のメンバーはいよいよジャングルに突入だ。ジャングルは小チアン湖の向かいに広がっていて、四、五本の小路が中にのびている。しかし道はすべて徒歩か、スーパーカブや自転車に荷を積んで押して行くためのもので、一番広くても幅2m程しかない。しかもこの季節はあちこちに水たまりができ、途中の小川の水量も増えているはずだ。

 道はどれも曲がりくねり枝分かれしていて、どれがどれとつながっているのかまったくわからないし、行き止まりの枝道も多い。一回一回トライアンドエラーを繰り返して覚えていくしかないのだ。そんな中から今回われわれが選んだのは、地元の猟師が「大通りに抜けられる」と教えてくれた道だ。

 小路の入り口で全員の姿を確認して、バーニー玉田が先頭で走り出した。走行順は速いものが先、遅いものはマイペースでついて行くという暗黙の了解がある。大きな分岐点では先頭が止まって全員を確認する。

 道が曲がりくねっている上に、路面の変化が激しく気が抜けない。水の流れが作った深い亀裂が走り、走行可能な路面が50cmほどしかないところがあるかと思えば、湿った赤土のスリップポイントや砂、ぬかるみ、深い水たまりと、千差万別である。1m幅の流れもある。川の向こう半分が深くなっているので不用意につっこむとスタックする。しかもすぐに2mほどの急なのぼり坂だ。しかしここは全員、なんとかクリアーした。と思うのも束の間、次の難所が待っている。

 コーナーの先に、路幅いっぱいに広がる、長さ10mほどのぬかるみがある。両サイドはジャングルなので、迂回はできない。バーニー玉田がスタンディング・ポジションでアクセルを開けて突っ込んだ。後続車ははね飛ばされる泥をさけて、一時停止だ。バーニー玉田のスピードが落ち、後輪がすべり始める。あのバーニー玉田ですらスタックか!と一同見守る中、彼は必死でアクセルを開け続ける。後輪が斜めになって、20cm幅の溝を掘っていく。しかし前輪にカウンターをあてて、なんとか直進したバーニー玉田は、今にも止まりそうになりながらもぬかるみを乗り切ったのだった。後続車は彼の掘ってくれた溝をトレースして、なんなく走りぬけた。

 

 大きな分岐点で小休止。みんなが水を飲んだりたばこを吸ったりする中、ミッキー石原が荷物をおろし始めた。
「さっき道に太い木が横たわっていたところさぁ、右のジャングルに迂回路があったじゃない。あそこを抜けるとき、なにかに引っ掛かって進まなくて。ローに入れてふかしたら抜けたんだけど、ほら」
 と言ってシフトレバーを指差した。なんと、シフトレバーがU字型に曲がっている。
「どうやって走ったんですか?」
「かかとで蹴って、無理矢理セカンドに入れてさ、あとはずっとセカンドで」
 ミッキー石原は荷台にしばってあったタイヤレバーをおろして、曲げを直しにかかった。
「折れないかな、折れたらやばいな」
「いよいよになったらバイスプライヤーがあるさかいに、そいではさんで行けるやろ」
「可倒式レバーが欲しいよう」
 なんとか走れる程度に曲げ直したミッキー石原がつぶやいた。

 

 ジャングルは日が射さないが、風通しが悪く湿気も多いのでけっこう暑い。だからすぐに出発となる。だがここから先はまだだれも走ったことがないのだ。前回来たときここで会った猟師と片言のベトナム語で話したところ、どうやら抜けられるということがわかっただけだ。だが彼らの言う「抜けられる」は道があるということで、けっしてバイクで行けるということではない。深い川があったり丸太が横たわったりしていても、人が行けさえすれば「抜けられる」のである。だから時間のなかった前回はここから引き返した。今回は人数も多いし時間に余裕もあるので、行ってみようということになったのだ。

 

 道は曲がりくねりにアップダウンも加わって、さらに奥へと続いている。しかしひどいぬかるみや大きな水たまりは少なくなり、路面もしまって走りやすくなってきた。小さな流れを越えて小高い丘状の斜面を登っていくと、突然ジャングルがおわり、バナナ畑になった。どうやら本当に抜けられそうだ。畑の中の小道を更にいくと右手に人家が見え始め、やがて大通りにぶつかった。

 大通りは幅の広いフラットダートだ。そこを100kmちかいスピードで走りぬけ、小チアン湖と大チアン湖を分ける舗装路に出た。後はUBの待つ街へ向かうだけだ。

 

 UBは指定工場で待っていた。49Tのスプロケットはあったのだが、ボルトの穴の位置があわないので、2枚のスプロケットを切って溶接して1枚にしているという。一同唖然としつつビールを飲み、修理が終わるのを待つ。

 ここからは国道1号線経由で、ホーチミン市まで2時間の距離だ。メンバーたちは、早くも今晩どこで飲むかという相談を始めていた。

 

――終わり――

 

 [ミッキー石原 / 石原文春の紹介ページへ]

(c) copyright 1999 MIK & Jya-Aku Corporation
All rights reserved.

アジアの中心 ジャアク商会のホームページはこちら


サイゴンホッパーズへの声援、激励、問い合わせ、

参加希望はこちらへ

ジャアク商会&MIC ジャアク商会総本部