南部ベトナム山中にて
2.孤独の山行
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出発前、笹原はこの山道ルート突破を冒険と呼んだが、今となってはただの無謀な行為でしかない。 しかし、待っていても助けは来ないし、泣いても笑っても怒ってもどうにもならないなら歩くしかない。道標があるくらいだから道には違いないのだろうが、これまで40キロ走っても村はひとつしかなかったし、車もバイクも通らなかった。 けわしい砂利引きの路面には、壊れた笹原のバイクから漏れ出したオイルがばらまかれていた。彼が通ったたしかな証拠と思えばいいが、オイルと一緒にボルトやナットまでまき散らしているから不安はつのるばかりである。いったいどこの部品だろうかと、落ちたボルトをひろうたびに不安は増していく。こんな状態で走っていくと、バイクは町に到着する前にばらばらになるだろう。 突然、人っ子一人いないと思われていた道の前から話し声が聞こえてきて、俺は思わず立ち止まった。すわ山賊かと思うが逃げ場はなく、そのまま呆然として突っ立っていると薪を運ぶ褐色の山岳民族の青年たちがやってきて、照れた笑顔でなにやら言った。しかし言葉はベトナム語ではなく、そのため俺にはわずかの単語も理解できない。 約1時間後になってようやく新しい標石を見つけたが、ファンティエットまでまだ51キロも残っていた。1時間もの間、一歩も足を止めずに歩いてやっと4キロ進んだ計算だが、山道の歩行とはこんなに遅いものなのか。腕に巻いた多機能時計を確認すると、日の入りまであと2時間しか残っていなかった。このまま時速4キロで歩き続けたとしても、町に着くのは13時間後の午前3時になる。 絶望的な状況だが、それでも前進するしかなかった。とにかく歩くしかないのである。事前に得ていた情報によると、この一帯のジャングルはつい最近まで野生の虎の有名な捕獲地だったというから穏やかではなかった。しかも俺は昨日、ダラットの珍味料理屋のメニューに熊肉が用意されているのを確認していた。肉があるなら本体もいるはずで、もし虎や熊が本当にいるのであれば、彼らは夜行性の動物だから、陽が落ちるまでになんとか安全を確保する必要があった。さもないと自分の食料の心配をする前に、俺自身が彼らの食料になる危険性がある。 一歩踏み込むごとに苦行に近づく山行の中で、俺は冒険について考えていた。正直に言って俺はこれまで冒険家という人たちに対し、あまり敬意を抱いていなかった。単独行になんの意味がある、命を的にして一番のりや未到ルート開拓に挑んでなんになると思っていた。それは単なる自己満足と虚栄心が形を変えただけのもので、刺激を求め続けていれば危険に近づくのはあたりまえだと思っていたのだ。 ただし、現実には冒険行の途中で命を落とした冒険家も数多く、不安が多いときは逆に彼らの偉大さが心細さを増大させてしまう。最悪の例として、俺は偉大な冒険家の功績を数えあげている最中に、運悪く植村直巳や長谷川恒男の顔を思い浮かべてしまった。考えてみれば、あれほどすごい冒険を達成した人でも命を落とすことがあるんじゃないか。そう思うと、すごい冒険家にはほど遠いシロウト旅行者の俺などは、危険に達するはるか手前であっけなく死んでも――たとえ町から50キロ離れただけの山道で命を落としても――なんの不思議もない。 (無謀な冒険はさらに続く! 続きは下の『NEXT』をクリック!) |
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