はがまき+びり

 

 

 十年前につきあっていた彼は、旅が嫌いだった。休みの度に旅に出る私を覚めた目で見ていた。一緒に行こうよ、と誘うと彼は言った。
「僕は山手線の中でも旅しているから」

「想像力の貧しいものだけが旅をする」 といったのはパスカルだったか。画一で過剰な情報を消費するだけの現代の旅はまさにその典型に見える。

 本来旅人になるということは、傍観者として他人の文化と歴史の中を歩きつづけ、鳥のようにただ飛び回りさえずり、ねぐらを見つけ餌を捜しつづけることなのだ。非日常を求めて旅を続けるうちにそれが日常になっては、倦怠でしかない。
 日常は安全で退屈。なんだか恋愛に似ているな。恋が楽しいのも最初だけ。恋する感情を持ちつづけ昇華させつづけることは難しい。
 無責任な通りすがりの旅人として、他者でありつづけることの気楽さを求めて私は旅に出る。優雅な暇つぶし。何も生み出さない退屈。流れ、さまよい、ネジがゆるゆるとほどけていく。

 アンタナナリボの青い丘で、フエの河の上で、マサイマラのサバンナの真ん中で、コカパバーナのまぶしすぎる海岸で、真夜中のアンティグアの街角で、西表島の白い珊瑚の島の上で、いつまでも風の音を聞いている。時が過ぎるのを待っている。それが許されるのが旅人だ。

 コーランが流れる街角で、嘆きの壁に深く頭を垂れるユダヤ教徒の黒い後ろ姿に、何度も礼を繰り返し無心に祈るワットの老婆に、信じるものがある人間は幸せだと思う。強いと思う。

 かつての栄華をしのばせる廃虚の間をやせ細った犬が歩いて行く。ねっとりとした風の中に、何かの気配を確かに感じている。人間は偉大だ。そしてちっぽけな存在だ。愚かで賢く、罪深く純真だ。ねえ、今でも山手線の中でも旅は出来ると信じてる?

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