海外で働くならその国に惚れろ

THE PAN PACIFIC HOTEL BANGKOK
CULLNARITY MANAGER

崎田 伸二

 

 

 崎田氏は8年前に旅行でタイを訪れ、この国に一目ぼれしてしまった。

「東南アジアを広く旅したんですが、なかでもタイの印象がいちばんよかったですね。とくに田舎の素朴さがすばらしく印象的でした」

 板前としてオーストラリアで働いた経験を持つ彼は、いつかこの国で働いてみたいと思い続けていた。
 そんなとき、偶然にもバンコク市内の高級ホテル内で新規開店する会席料理店が調理スタッフを募集していることを知り、応募するとすぐに採用された。

 しかし、再訪してみて驚いた。バンコクは猛烈に都会化しており、日本の街と変わるところがほとんどないのだ。

「少し甘く見てましたね。これは油断ができないなと、すぐに気持ちを入れ替えました。」

 バンコクには200軒以上の日本料理店があるが、彼が働く欅(けやき)は会席料理を売り物にする店だった。ただし、彼には会席料理店で働いた経験がなく、そのうえ一度旅行で来ていたけれど、タイ語はほとんどわからない。
 しかも、タイ人スタッフには、「盗んで学ぶ」 といった日本の板場精神は通用しなかった。いちいち教えてやらないと料理を学ぼうとしないのだ。

 公私ともに問題は多く、苦労は尽きなかった。何度も自分に腹をたて、ときには冷蔵庫や調理場の壁に八つ当たりもした。

「するとスタッフが言ったんですね、『ここは日本じゃない、タイなんだ!』 って。それでハッと気づいて態度を改めました。タイにはタイのやり方があるんです」

 頭を切り替えた彼は、まずタイ語を学ぶことにした。テキストを片手に昼は調理場のスタッフと、夜は近所のカラオケクラブ(タニヤ大学:本人談)でホステス相手に猛勉強した。その苦労が実り、今ではスタッフの全員にタイ語で指導ができるほどにまで上達した(ただし学費は高かった:本人談)。

 学ぶのは言葉だけではなかった。今回初めて挑む会席料理も、先代の料理長に師事したり、文献を当たって研究したりの日々が続く。しかし、そうした努力のかいあって、当初はすし職人として赴任してきた彼も、今では料理長にまで出世した。

「こうなると店の構えからキッチンまで、すべて監督しなれけばならないから大変ですよ」

 額に汗してスタッフに指示する姿はいかにも大変そうだが、タイに惚れたと言い切る彼にしてみれば、なんの造作もないことなのだ。

(1998)

*崎田氏は現在行方不明です。当方も消息は把握していません(ジャアク商会 2006)

 

 

プロフィール
SHINJI SAKITA

 1968年、大阪府東大阪市生まれ。
 高校を中途退学し、日本調理師専門学校に入学。
 卒業後、地元の割烹料理店で修行を続け、19歳のときにオーストラリアに渡って1年間板前として働く。
 日本に戻ってからはすし職人として腕を磨き、1994年11月にパン・パシフィック・ホテルに入社。同ホテル・バンコク支店内の日本料理店『欅』の料理人兼フロアマネジャーとして奮闘。
 現在はシー・ラチャで日本料理店の板長だ。

 

アジアの中心 ジャアク商会のホームページはこちら



当コーナー登場者への声援、激励
ご意見、お問い合わせはこちらへ

ジャアク商会総本部