好きこそものの上手なれ、が仕事の基本

TOKYU CONSTRUCTION CO.,LTD.
BANGKOK OFFICE MANAGER

奥岡 泉

 

 

 サッカー少年として名古屋に育った奥岡氏の夢は、いつかブラジルに行って暮らすことだった。その夢を現実化するために、彼は大学でポルトガル語を専攻する。

「ずっと海外で働くことしか頭にありませんでした。特にラテンアメリカに強いあこがれがあって、なんとしても行きたかったんです」

 そして入社したのは建設会社の大手、東急建設。それというのも、同社にブラジル進出のプランがあったからだ。
 しかし、入ってみるとブラジルは経済危機に見舞われ、進出は中止になってしまう。かわりにハワイ行きを命ぜられたが、準備しているうちに目的地がタイに変わった。体調をくずして引き上げたスタッフの交替要員に抜擢されたのだ。

 だが、東南アジアなどまったく眼中になかった彼は、赴任してきたタイで大失敗をしてしまった。現地スタッフに日本式の厳しい仕事のやり方を押し付けたのである。おかげで彼らから総スカンを食らった彼は、たった半年で日本に戻されてしまった。

「でもすぐに呼び戻されました。それまでの古いやり方では仕事が進まないことに、彼らが気づいたんですよ」

 そうやって今度は南部プーケットでのプロジェクトに参加したが、3年半の任期がすむと、再び日本に戻されてしまう。日本でもう一度勉強し直せという命令だった。
 そんな彼を待っていたのは退屈な毎日だった。日本での仕事はたしかに重要でやりがいもあるが、海外でダイナミックに働いた経験があると、どんな仕事でも味気なく感じてしまうのだ。
 それで上司に直訴すると、うまいぐあいに人事部がタイでの職場を与えてくれた。幸運なようだが、それだけではない。過去に築いた確かな実績がものを言ったのだ。

「それと、僕の場合は語学力を買われましたね。英語、ポルトガル語、スペイン語、タイ語など、趣味で覚えた外国語がいくつもある。こんな男は社内にそういない」

 タイに戻ると水を得た魚で、数々のプロジェクトを成功させた。96年から始まった、地盤の弱いバンコクで地下鉄を掘るという難事業も彼の担当である。

「仕事は日本的にやるけど、心は日本から完全に離れていたのがよかったんでしょう。その国が好きだから一所懸命に仕事する。好きだからここに暮らしている。だからすべてがうまくいく。なにごとも、『好きこそものの上手なれ』ですね」

 

 

プロフィール
IZUMI OKUOKA

 1956年、愛知県名古屋市出身。
 上智大学国際学科ポルトガル語学部を卒業し、1981年、東急建設に入社して海外事業部に入る。
 1984年、東急建設バンコク事務所に派遣されるが、問題が発生して一時帰国。
 その後、現地からの要請に応じて南部のプーケットに再赴任し、1990年から同社バンコク事務所のマネジャー職に就く。
 趣味は外国語の習得。

 

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