熱意だけでは職はない。必要なのは実力だ

BANGKOK SHUHO CO.,LTD.
PROJECT DIRECTOR

臼井 秀利

 

 

「最初から強い東南アジア指向があって、台湾支店で働くことが入社時の条件だったんです。ところが、研修が終わるとアメリカ行きを言い渡された。それで、いさぎよく辞めたんです」

 と語るのが、今回登場の臼井氏だ。

 彼は大卒後、いったんは田舎の商社に入社したものの、条件の違いを理由にわずか1カ月で退職してしまう。
 そして自力で東南アジアに行くべくアルバイトを始め、15万円ためるとすぐにバンコクに向かった。10万円で片道航空券を買うと、残りは5万円。これを2カ月で使いきると、彼はあわれ文無しに……。

 そこであわてて職を探すと、見つかったのがタイ国内で日本語新聞を発行しているバンコク週報社の飛び込みセールスマンの職。給与は日給制で1日800B(約4000円)、残業手当も賞与もない。

「金がないので、どんな仕事だろうがやるしかなかった。経験も全然なかったけど、どんなに苦労しても死ぬことはないと思って働いてました」

 幸運だったのは、当時は今ほど海外就職熱が盛んでなかったこと。そのため、若い日本人労働力がほとんどなく、就職もたやすかったのだ。

 しかし3カ月後、インドネシアで会社を経営しないかと甘く誘われ、彼は同社を辞めてしまう。

「社長に言われた退社の際の条件が、『もし失敗したら社に戻れ』 でした。絶対にうまくいかないと、彼はわかっていたんですね」

 晴れて社長になれると意気込んでインドネシアに向かったものの、現実は厳しかった。だまされ、金を取られ、あげくには刃物で刺されたりと、経営は3か月で破綻し、ふたたび彼は文無しに……。

「情けなかったけど、約束どおり社に戻りました。それでも社長はなにも言わずに迎えてくれました」

 そのときもバンコクは若い日本人の人材不足が続いており、出戻りにもかかわらず、社長は以前と同じ職を与えてくれた。

「今は絶対にこうはいきません。タイで働きたい日本人が多すぎて、仕事がない状態です」

 彼自身はタイ語も英語もできず、ただ若さと熱意だけを買われて採用されたが、いま同社で求人募集すると、9割以上の人がタイ語と英語を流暢に話すという。こうなると選択の基準は、

「いかに仕事ができるか」

 語学力はあってあたりまえ、そのうえで技術がないと職がない時代なのだ。

「熱意だけで仕事がもらえたのは、たぶん僕で最後でしょう。これからはもっと厳しくなりますよ。東南アジアはもう甘くない、です」

 

 

プロフィール
HIDETOSHI USUI

 1967年、栃木県宇都宮市出身。
 国学院大学法学部法律学科を卒業後、地元の商社に入社するが、就労条件が合わず1カ月で退社。
 すぐにアルバイト生活で旅費を稼ぎ、1990年8月からタイ旅行に出発。
 旅費を使い切ると、東南アジア最大の日本語現地新聞社『バンコク週報』に見習いセールスマンとして入社。
 その後、熱意と行動力と笑顔を武器に営業成績を上げ続け、現在は同社の営業部長にまで出世したアジアのガッツマン。

 

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