ベトナム初の“組織的会社”を作りたい

ISSEIKI CORPORATION
DIRECTOR

増田 暁生

 

 

 ホーチミン市で小さな貿易商社を営む増田暁生氏は、若干27歳。もともと、きちんとした経営の会社を作るのが夢だった彼は、それまで働いていた日本の商社を辞め、自営の会社をベトナムに作ってしまった。

「『組織』が好きだから商社にしたんです。やはり日本人なんでしょうかね」

 しかし、組織なら日系商社に勝る企業はない。そこを辞めてまで自分の会社を作る必要性はどこにあったのだろう。
 増田氏は、「こんな若造がと思うでしょうが」 と前置きしながら説明する。

「偉そうなことを言いますが、会社のやりかたが、どうにも納得できなかったんです。もっと合理的にやれば、もっと効率よく仕事ができる。だれもがそう思っているにもかかわらず、だれも動こうとしない。それがすごく不満だった」

 そこで、自分の思いどおりに組織を動かすべく自分の会社を作ったというわけだ。会社への不満はだれでも持っているものだが、それで実際に会社を起こしてしまう人はまれである。しかも、異国のベトナムで、である。

 しかし、彼によればベトナムを本拠地にした理由は特になく、自分の専門であった材木の加工・輸出業を営むという観点から候補地を選んでいったらベトナムになったというだけのことらしい。

「最近のベトナムブームに乗ったわけではないんです。そういう人たちは多いけど、大半は後悔しているみたいですね」

 ベトナムは投機ブームになっているが、社会主義国家であるうえに親族経営、裏金、コネが横行する社会なので、純粋なビジネスがおこなえず、頭をかかえている企業は数知れない。
 もちろん増田氏にもストレスはある。異国での会社設立、通じない言葉、あまりにも日本と違い過ぎる風俗習慣や環境……。
 肉体的なストレスは、その若さと高校時代にサッカーで鍛えた基礎体力で乗り切っているが、問題は精神面。貿易商社という性格上、日本とベトナムの間で板挟みになり、すべて投げ出したくなることもしばしばとか。

「それでも、不満をかかえながら日本の会社で働いているよりはずっといいものです。努力が成果を生んでいることが、はっきり目に見えますからね。これがいちばん大切なことだと思いますよ」

 疲れていても、若い増田氏はそれを笑ってごまかす。そんな彼のストレス発散の元はサッカー観戦。しかし、最近は逆にストレスを感じることが多いという。

「選手も日本人も、もっと海外に出なければだめです。数ヶ月のレンタルや留学ではなにも学べない。しばらく住んでみなければ、世界の厳しさはわからない」

 世界を相手にするビジネスの厳しさを知る男は、笑いの質も、ちょっと違う。

 

 

プロフィール
AKIO MASUDA

 1968年、静岡県焼津市生まれ。
 1991年に日本国内の某商社に入社し、東南アジア諸国を担当。
 1994年に退社後、それまでの専門だった材木輸出入関係のノウハウを生かしてベトナムに木工製品の輸出業を営む(有)一世記の海外事業部を起こす。
 さらに副業として、1996年1月、ホーチミン市中心部に居酒屋 「赤とんぼ」 をオープンし、成功させている。
 現在は、その2号店「赤とんぼ ハノイ店」の回転準備に忙殺されてい。
 無類のサッカー・ファンで、日本代表チームの不甲斐なさにいつも憤慨。

 

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