「仕事に追われない生活」を目指して

MIC COMPANY LTD.
PUBLISING DESIGNER

石原 文春

 

 

 日本ではイラストレーターをしていたが、「毎日に退屈を感じて」 1990年に、突然だが東南アジア旅行を思い立ったのが、現在ベトナムで充実した毎日を送っている石原文春氏である。
 彼にはアメリカでの長期留学経験もあるのだが、あえて東南アジアを目指したのは、

「とにかく、金より大切なものをいつも求めていた。それが東南アジアにはあるように思えたから」

 思い立ったら吉日とばかり即座に職を捨て日本を飛び出し、数カ国を旅した後、彼は定住の地をベトナムに選ぶ。
 そして知人の紹介によりホーチミン市の日本語学校で1年間教鞭をとり、その後、新たな挑戦として中部ダナンに日本語学校を開校する準備作業を半年間続けるが、未整備のベトナム法律の壁に阻まれ断念。
 失意のままふたたびホーチミン市に戻ると、今度は過去の経歴を生かしてフランス資本のビール会社BGIに入社して広告デザインを担当。
 しかし、フランス式のビジネススタイルが肌に合わず、ここも半年で退社。

「このほかにも職を点々としているとしているんですね。日本じゃ落ち着きのない人間って思われるかもしれないけど、外国は違う。能力や、自分のやりたいことに応じて職場を選ぶのが常識。それを実践しているだけなんです」

 そうやって転職を繰り返して見つけた次の職場は、日本航空の会報などを作成しているリサーチ会社ジャパナム。その理由は、

「仕事に追われずマイペースでやっていこう、という社長の考え方に同調しただけですよ」

 仕事に追われないし残業がない、嫌いな仕事はしないでいい、休暇も自由に取れる……日本では絶対に無理な環境がこの会社にはあったという。もちろん給料もそれに見合ったもので、日本時代の数分の1。しかし、日本語教師時代でわずか100ドル、BGI社時代でも300ドルの月給だったというから、金が目的だとしたら、すでに日本に帰っていただろう。

 技術があり、異国での生活にも違和感がなく、どんな環境でも生活していく自信を持つ同氏なのだが、やはり大切なのは給料よりも、ひそかに描く人生の目標達成らしい。

「大きいことはいいことだ、の精神で育った世代の人間なので、細かいことは気にしない。それがいい方向に働いていると思いますよ」

 こうしたおおらかな人間性こそ、東南アジアで働く人間の必須条件なのである。

 

 

プロフィール
FUMIHARU ISIWARA

 1958年、東京都大田区生まれ。
 多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業後に渡米し、サンタモニカ市立大学に留学。
 1990年にベトナムを旅行し、翌1991年から同国で働く。
 ベトナムで日本語教師を筆頭に職を点々としたのち、業務リサーチや取材コーディネートを取り扱う有限会社ジャパナムに入社。

 1997年に独立し、現在は三日堂デザイン本舗、通称 mic の代表。

 

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