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翌日は新たなバスで、タイ族の町カンランパへ向かう。バスの中で3人組の中国人と筆談が始まった。南京の郊外から仕事で来たという3人に 「南京豆」 「南京虫」 と書いて見せると大うけ。その後彼らがごそごそと何やら書き出した。見ると 「南京大虐殺」 「日本鬼○○少尉」 と書いてあって、その下には○○少尉が軍刀を片手に人を切っているイラストまで描かれている。話しがヤバイ方向に向いてきた、父の敵っ!てなことになったらどうしよう。背中を冷や汗がつたう。
しかし彼らはナイフを抜くこともなく、終始にこやかなうちに下車していった。
午前中にカンランパに着く。この町はバックパッカーの間でちょっと名の知れた町なので、それっぽいゲストハウスがあると聞いていたのだが、バス停前の招待所にあっさり泊まれることになったのでそこに決める。フロントというよりは受付小屋といったブースに小娘がいて、部屋に案内してくれる。小娘はどうやらそのブースに住んでいるようで奥にベットが見える。
カンランパは歩いて回っても小一時間の小さな町で、町の際をメコン川が流れている。メコン川もこの辺では川幅も狭く並の川なのだが、水の色はすでに茶色く濁っている。
昼食はタイ族の飯屋に行く。中華料理以外の味は随分久しぶりだ。娘たちの民族衣装がかわいく、タイ語が通じるので筆談の必要もない。もっとも2〜3言葉でタイ語のボキャブラリーは底をつくのだが。
午後、メコン川を越えて対岸をぶらついた。対岸は何もない小さな村で、高床式の家が並んでいる。道沿いに小さな市場があり、立ち寄ったが特に買うような物はない。帰りの舟でいっしょになったおばちゃんが持っていたミカンをくれた。
宿に帰ると小娘がいない。小娘がいないと彼女に預けた部屋の鍵がないのだ。宿の下の店で聞くと店の人が大声で小娘を呼んでくれた。
店の人が彼女をスーリーと呼んでいるのを聞いて、スーリー=素麗という台湾人の知り合いがいたのを思い出した。小娘もやはり素麗と書くらしい。フルネームが張素麗だと知って、今度はクマプーが小学校のときよくいじめた女の子、金華大飯店のひとり娘張ちずを思い出した。ブスでバカな女だったというが、実は惚れていたらしい。それが証拠にクマプーは同じ名字の張素麗が好きになってしまうのだから。
夕食もまたタイ族の店に行き、食後はビールを飲みながら家族と一緒にテレビを見る。すべて字幕付きなのでニュースなどは内容が予想できて面白い。飛行機墜落の写真の下に 「越南国旅客機墜落…」 なんていう字幕がでれば、詳しいことはわからなくてもベトナム航空機がどこかで落ちたくらいのことはわかるわけだ。
夕食後、宿の下の屋台で焼酎を飲む。あまった焼酎を部屋に持って上がってさらに飲み、私は寝てしまう。飲み足りないクマプーはもう1度屋台に戻って飲み直すと言ってでて行く。その後素麗の小屋に見知らぬおやじがいるのを目撃して気落ちしたクマプーは、自棄酒状態でさらに焼酎を飲み、夜も更けてから部屋に帰って来るなり、
「向かいのディスコみたいなところは、実は女の子を調達して連れ出すところなんだ。何組もおやじと若くてきれいな姉ちゃんがでてきたから間違いない。いいなあ」
と騒ぎはじめ、
「僕も連れて来ればよかった」
と言い出した。目を覚ました私が、
「2〜3人見繕って連れて来いよ」
と言うと、クマプーは勇躍外に飛び出していく。
しばらくして、手ぶらで戻って来たクマプー。もうすでにだれもいなかったそうで、くやしー、残念、早く行けばよかった、それにしても素麗の小屋にいたおやじは何者だ、素麗はあのおやじに買われたに違いない、ちくしょー、としばらく喚いていた。
クマプーの翌日はお約束の二日酔い。ボーッとして反応が鈍いクマプーに代って、朝飯からバスチケットの手配、バス乗り場確認と私は忙しい。バスはラオス国境に程近いモンラーという町を目指して走る。
途中でバスの乗客とまたまた筆談が始まった。ぼけていたクマプーがだんだん元気になってきて、ふたりで中国語の読解に挑む。今回の相手は30代のカップルだ。彼らはどこだかの芸術大学の先生で、旦那は書道を、奥さんはダンスを教えている。その旦那が書く字が達筆すぎてしばし判読不明、楷書で書いてくださいと書かねばならなくなる。こちらは文法がわからないので書くときは単語をならべるだけだ。それでも相手が楷書の旧体字で書いてくれるとかなり理解でき、意志を疎通することができる。
彼らは途中の大きな植物園に一緒に行かないかと誘ってくれるが、我々が断るともう2度と誘わない。日本やベトナムとは大違いの個人尊重主義。個人主義がいい方向にでるとこうなるのだろう。大変気持ちよい人たちだった。
モンラーでさらに国境の町ボーハンへ行くバスを捕まえる。ボーハンの町は国境ということで発達した町なのだろう、小さな市街地に土産物屋や生活必需品を売る店が軒をならべている。行った時期が悪かったのかほとんどの店が閉まっていて、食事をするところは2〜3件、しかも麺類など軽いものばかりだ。宿はイミグレーションの近くに1軒あるだけ。夕食後宿の下の店で酒を飲むしかすることがない。
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