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朝、国境が開くのを待ってラオスに入る。両国のイミグレーションオフィスの間は2〜3km離れているので、国境ゲートをくぐった後トラックの荷台に揺られて山道を行く。 ラオスに入った途端道が悪くなり、ぬかるみが目立つようになる。下り坂になって景色が開けると、イミグレーションの建物が見えてくる。イミグレと税関を抜けて、最寄りの町までの乗り合いトラックに乗る。トラックは5座席、一般の乗客は荷台に乗るのだが、がたがた道を走るので慣れないときつそうだ。我々はラオス人のおばちゃんを挟んで、後列のソフトシートに乗り込んだ。
「基本ラオス語会話表」 をバックからだして、隣のおばちゃん相手に会話の練習をはじめる。不思議なことにカタカナ表記されている文を棒読みするだけでほぼ通じる。ベトナムでカタカナ表記のベトナム語を読んでもまず絶対に通じないのに。おばちゃんがイントネーションを少し直してくれる。これに力を得て、以後ラオスではラオス語会話に精をだした。
トラックはどうやらボーデンという国境の町の先、ムアン・サイまで行くらしい。我々も今日はムアン・サイに泊まって明日からの行動を考えることにした。この先ルアンプラバンまでは3つのコースが考えられる。しかし情報は錯綜していて、簡単に行けるとガイドブックにあっても実際には途中で1泊したり、川の水嵩が少なくて船が欠航したり、一筋縄では行かないようだ。季節や天気、政治情勢に左右される要素が多すぎて、行ってみなければわからないというのがラオスの旅なのである。
ムアン・サイに着いて宿を決め、市場に行く。市場にはいろんな少数民族がいて、それぞれの民族衣装を見るだけでも楽しい。市場を一巡りして、お茶を飲んだらもう日暮れだ。一天にわかにかき曇り、という感じで天気が変わり、ぽつぽつと夕立が降り始める。急いで宿に走り込む頃には土砂降りになった。雨が上がったら食事に行こうと思うのだが、雨はなかなか上がらない。8時ごろやむなく腰を上げ、雨の中を出かける。
町の中心は通り沿いの2〜300mなのだが、ざっと見渡しても、真っ暗で開いている飯屋がない。やっと見つけた1軒は麺類の店だ。米の飯はないのかと聞いてみるが、ありそうもない。しかたなく麺をすする。独特の麺とスープで、これはこれでかなり旨い。我々が食べている間に他のテーブルが用意され、店の人たちが食事をはじめた。見ると彼らは米を食べているじゃあないか。さっき米はないと言ったお姉ちゃんに、我々はそれが食べたかったんだ!と伝えると、少し分けてくれた。
我々は結局、トラックバスでパクベンへ行き、そこからボートでルアンプラバンへ行くコースを選んだ。それが1番確実そうだったからだ。1日でパクベンに着けば、次の日もパクベンに滞在して溜まった洗濯物を片づけることができる。パクベンまでは聞くところによると7〜8時間だが、がけ崩れでもあればそこで1泊などということも起こりうる。
いよいよトラックバスの荷台である。荷台のサイドに沿ってベンチが向かい合わせに取りつけられていて、そこに座れるだけの人が座る。真ん中はみなの荷物で足を伸ばすスペースもない。座りきれない人はステップに立って手摺りにつかまっていく。
昨日クマプーが市場で買ったカオ・ニャーオ(おこわ)入れの籠にカオ・ニャーオを買っていれ、おかずも2〜3種類ビニール袋に買い込んだ。これがラオススタイルだ、ということがわかったからだ。みんな米はこうやって持ち歩いて食べる。だから屋台は麺屋ばかりなのだ。
道はほぼ下り。トラックは村々でとまって、人や荷物を載せたり降ろしたりしながらパクベンを目指す。我々はカオ・ニャーオをラオス風に手掴みにして丸め、口にほうり込む。おかずをつまみ、途中で買った果物を食べながらトラックに揺られていくうちに、だんだん揺れが体になじんでいく。人が少なくなった隙を見計らって足を伸ばし、なるべく楽な姿勢を取る。しかしそれも束の間、再び込んできて身動きできなくなり、ひざや尻が痛くなってきた。パクベンはまだか。
道の両脇に家が建ち並びはじめた。トラックの横を日本人と思しきおやじが通り過ぎる。こんな山の中に日本人がいるとは、なにかの研究者かな?などと話していると、そこはもうパクベン。道はメコン川に突き当たって終わる。この先へは船でしか進めないのだ。
パクベンは山と川に挟まれた小さな村だ。道の両脇に家が並び、その向こうはすぐに山と川が迫っている。船着き場に程近い宿の2階に部屋を確保して、ちょっと坂を上ったところにある市場を見学に行く。夕方だったせいもあるが、市場にはほとんど何もない。わずかに肉や野菜を売っている掘っ建てブースが並んでいるだけだ。市場の裏の細道を道なりに上っていくと小さな滝があって、水がの飲めるようになっている。おいしい山の水を堪能してさらに歩くと、いつのまにか船着き場を見下ろす場所にでた。そこからパクベンを一望して夕食前の運動を終えた。
宿の2階のお隣はさっき歩いていたおやじ家族。おやじ夫婦と二十歳をすぎた娘がふたりの計4人で交通不便なラオスの山の中を旅行するなんて、なかなかおしゃれな家族である。
翌朝
「あ、お母さんが、お母さんが…」
隣に泊まっている日本人の娘が騒いでいる。
何事かと外を見れば、お母さんが宿のおばちゃんともども道にひざまづいて、托鉢に来た坊さんを拝んでいる。娘よりよっぽど行動力と適応力のあるお母さんなのだ。
宿の2階には共用ロビーのようなスペースがあって、のんびり外を見るのに最適だ。お母さん騒ぎの後も、我々はロビーでくつろいでいた。久しぶりにのんびりとラオス語の勉強などしていると、突然異様な臭いに襲われた。何だこの臭いは、どこかで嗅いだことのあるような、と思いつつ窓から通りを見ると、先ほど托鉢坊主が佇んでいたあたりを1頭のヤギが縄をかけられて引き立てられていく。2階まで届く強烈な臭いはそのヤギから放射されているのだ。ヤギは全身の毛が長くいかにも今まで山の中でハーレムに君臨してました、というような雄ヤギなのだが、哀れ人民の手に落ちどこかに売られていくのだろう。ヤギが船着き場方面へ去り姿が見えなくなっても、しばらくは残り香があたりに漂っていた。
朝のうちに洗濯を済ませ、今日は1日予定無しだ。ラオスの道路状況がわからず移動の時間が読めなかったので、ここまで結構飛ばして旅をしてきた。しかしここからルアンプラバンまでは毎日2便ボートがでているし、ルアンプラバンからは飛行機もあるのでちょっと小休止である。あとはルアンプラバン→ビエンチャン間でがけ崩れや山賊に出会わなければ余裕の行程だ。ルアンプラバンで2泊、ビエンチャンへ行く途中で3泊、ビエンチャン1泊と、大まかなスケジュールも見えてきた。
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