クマプー山本+笹原亮の

雲南・ラオス紀行8

執筆 笹原亮

ラオス編 その2
パクベン−ルアン・プラバン−カーシー

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 翌日スピードボートに乗る。ヘルメットと救命胴衣の着用が義務付けられているようだが、だれも気にしない。救命胴衣もヘルメットもほとんどが船底に詰まれて紐で縛られたままだ。
 スピードボートというだけあって、すごいスピードで突っ走る。姿勢が低く上下動があるため、実際のスピードよりは早く感じられると思うが、体感速度は80〜100kmといったところか。慣れるまでは息もしづらいが、慣れるとカオ・ニャーオ籠をバックから取り出しておかずを広げ、食事ができるまでになる。川面は決して静かではなく、茶色い水に細波が立っていたり渦がまいていたり、変化が激しい。それらは浅瀬や岩礁の場所を示しているのだろう、ボートはそれらを避けてジグザグに進んでいく。最初は遊園地のジェットコースター気分で楽しかったが、途中からは飽きてしまいルアンプラバンを心待ちにするようになる。
ルアンプラバンは半日歩き回れば街中回れてしまうコンパクトな古都だ。メコン川近くに宿を決め早速市場に向かう。パクベンであんなにしっかり洗濯したのに、クマプーが臭い。奴は
「今日は洗濯したてのシャツだから、僕じゃあないよ」
 と言っていたのだが、ある時自分の臭いに気づきショックを受けたのだ。市場で汗の匂い消しを仕入れ闇両替をしなければならない。
臭い消しは容器の先がボール状になっていて、クルクルと臭いところを転がす。クマプーがシャツの臭い部分をクルクルすると、あら不思議、臭い匂いが消えてしまった。
夕食はメコン川のほとりに張出したレストランで取る。岸辺にもやった舟の上から子供たちが何度も川に飛び込む。やがて夕陽が川向こうの山並みに落ちかかり、あたりはオレンジ色の黄昏だ。ビールを片手に川風にふかれながら見る夕焼け。このためにここに来たといってもいいほどの至福の一時である。

 私は名所・旧跡・古刹等にあまり興味がない。だからアンコールワットのようにお寺が目的で行く場合以外、拝観料が必要だったりちょっと遠かったりするとすぐに入場をあきらめる。それより人々の生活に興味があるので、まず市場に行く。その後は宿を中心に半径200mくらいを探索して終りなのだが、クマプーは1番有名なところくらいは見ておこう、と私を引っ張っていってくれる。おかげで王宮博物館を見学し、その後ルアンプラバンの中心にある小高い丘、プーシーから市内を一望することができた。
 丘を下って町を歩く。オールドスタイルのラオスの布や銀細工屋が楽しい。銀細工屋の裏には工房があって何人もの細工師が細かい仕事に精をだしている。市場近くの路上では少数民族のおばあちゃんが民族模様の刺繍や染め物を売っている。怪しげな漢方薬のようなものをならべているおやじもいる。芋の乾したの(にしか見えないもの)はかゆみ止めにいい、といって虫さされの跡をこすってくれる。確かにかゆみが引くぞ、よし、ひとつお買い上げだ。ついでに腎臓に効く薬はないかというと「キドニー」という英語が通じたのかどうか怪しいながらも何やらいろいろ入ったビニール袋をくれて、煎じて飲めと言うのでそれも買う。あとでビニールの中身をよく見ると、米粒や木のチップ、乾した草などが入っている。ベトナムに戻ってから飲んでみたが、味は悪くない。効果のほどは??である。ちなみに乾し芋は2週間ほどで完全に干からびて1/2ほどに縮み、効果もなくなってしまった。
 夕食は昨日と同じ川辺の店に行く。そこで同じ宿に泊っている日本人のふたり組に会った。彼らのひとりは高校の先生である。奇遇な事にもうひとりはその高校の卒業生で、先生に直接習ってはいないものの、姿は何度も見ていて顔を覚えていたのだという。ラオスで突然声をかけられて先生はずいぶん驚いたようだ。
 彼らに最近のニュースを聞いた。我々はダイアナ妃の死も、マザーテレサの死も、ベトナム航空機墜落がプノンペンで、日本人がひとり死んだことも知らなかったのだ。

 朝、郊外のバスターミナルに向かう。ルアンプラバン・ビエンチャン間のバスは2種類あって、アタリだと普通のバス、ハズレだとトラックバスになると聞かされていた。道は全線舗装されたが峠越えのため時間がかかるし、雨が降ると崖崩れがおきて復旧に手間取るという。夜間、山間部では山賊出没の恐れがあるので、バスは走らない。だから途中で足留めという可能性も十分考えられるわけだ。
 バスターミナルは最近郊外に移転したのだが、だだっ広い空き地にポツンと小屋が建っていて、地面は舗装されていないのでぬかるみだらけである。おりしもトラックバスがスタックして脱出を試みている。我々も地元民に混じって見物する。後押しをする人、土を運ぶ人、板を敷く人と大騒ぎだ。
 反対側では、お姉ちゃんがひとり草陰に行って用を足す。新設バスターミナルにはトイレもないようだ。常々サロンの下に下着を着けているのかどうかが疑問だったので、そっと観察する。お姉ちゃんはサロンを広げてそのまま座り込む。どうやら下着は着けていないようだ。
 地面の比較的乾いているところに何台かのバスとトラックバスが泊っている。今日のビエンチャン行きはどれだ? 残念ながらハズレのトラックバスであった。
 トラックバスといっても今まで乗って来たような小さなトラックではない。大型トラックの荷台の横幅を広げ、木のベンチスタイルの座席が7列ほどならべてある。我々は前から3列目の左窓際の席を確保して、バックパックを座席の下に押し込む。満員の乗客を乗せ、屋根には荷物を満載してビエンチャンに向けて出発だ。
 街を抜けるとすぐに上りの山道だ。トラックバスはゆっくりと上っていく。上りきったところの小さな村で小休止。ここで道は2つに分かれ、左に行くとジャール高原だ。高原に転がる謎の大壺にも興味はつきないが、それは次回のお楽しみということにして、さらにトラックバスの旅を続ける。道端トイレで用を足す間に危なくバスに乗り遅れそうになりながらもなんとか乗り込み、今日の宿泊予定地カーシーを目指す。
 カーシーの手前で山がすべてボコボコの桂林型になった。そのボコボコ山を縫うように下り道が続いていく。下りきってしばらく行くとカーシー村のバス停に着く。バス停の奥が市場で、ここが村の中心地だ。我々はここで下車。村に1軒しかない道沿いの宿に投宿し、カーシー見学に出かける。
 市場の裏から村に入るとあちこちで機織りをするおばちゃんやお姉ちゃんの姿が目に留まる。自転車に乗ってどこからともなく現れた英語通訳志願の少年を伴って、機織りのお姉ちゃんを訪ねてみた。機織り機の前に座って足で縦糸を上下させ、手で横糸を通していく。豊田自動織機が発明される以前のスタイルで彼女は毎日機を織る。このあたりの女性は機織りができて1人前だそうだ。
 織りあがった反物はまとめて買いに来る業者に売る。業者はそれをビエンチャンの店におろすのだ。織物は主に女性のサロンに使われるが、ラオスの女性はみんな毎日サロンをまくので需要は多い。
 伝統の織物にも流行がある。新しい柄は柄記憶装置に記憶され、市場で売られている。柄記憶装置は2本の竹の間にはられたひもで、それに合わせて縦糸を動かすしくみになっている。
 小一時間ほどして、学校に行くと言う無料通訳と別れ、さらに村の奥地に足を踏み入れる。民家の庭を通っても 「サバイディー」 とにっこりすれば、相手も 「サバイディー」。サバイディー、サバイディーと歩くうちに日が暮れてきた。

 

 

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