クマプー山本+笹原亮の

雲南・ラオス紀行9

執筆 笹原亮

ラオス編 その3
カーシー−バンビエン−ビエンチャン

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 バンビエンに移動する朝だ。市場の前のバス停に行くと、バンビエンへはルアンプラバン発の長距離便以外にローカル便が何本もあるという。それらの1本を捕まえて出発する。
 バンビエンは周囲をボコボコ山に囲まれていて、7つほど洞窟がある洞窟の町だ。以前は空軍基地があったのだろう、国道沿いに滑走路が放置されている。
 川の近くにバックパッカー向けの宿が2軒ある。そのうちのひとつに泊った我々は、早速 洞窟に行ってみることにした。近場には洞窟が3つあり、そのうちのひとつは歩道と照明ががつけられている。そこはやめにして、川向こうの田んぼの先にあるというもっと鄙びた洞窟に行くことにした。
 船着き場から対岸の何もない河原に渡り、田んぼの畦を歩く。農民が指差して教えてくれたボコ山に向かうのだが、畦が途中で切れていたりしてなかなか思う方向に進めない。それでもなんとか田んぼエリアを抜け山エリアにかかる。やぶの小道をたどるがそれらしきものがない。標識ひとつでているわけでもなく、道を聞こうにもだれにも出会わないのだ。30分ほどうろついてやっと出会ったおやじに聞くと、今我々が歩いて来た方を指差すではないか。あっちにそんなものはなかった、と主張すると、おやじ自ら案内してくれた。おやじはやぶを分け入っていく。あらら、ここが秘密の入り口だったのか。小径をやぶが塞いでいて知らないとわからないようになっていたのだ。その先の小さなボコ山に洞窟はあった。奥は深そうだが竪穴になっていて、強力懐中電灯とザイルでもないと探検は不可能。しかたなく入り口付近の雰囲気だけを楽しんで帰途に着いた。
 宿でルアンプラバンで会った先生と再会した。いっしょに市場の前のベトナム人のおばちゃんがやっている飯屋へ行く。クマプーがベトナム語で自在に注文し、久しぶりにベトナム風を味わう。今日の洞窟話でもりあがり、明日はみんなでちょっと遠い洞窟に行くことになる。

 小舟で川を渡り、トラクターバスに乗り換える。トラクターの大きな車輪ででこぼこ道もものともしないが、歩いた方が速いくらいののろのろ運転である。やがて川にさしかかる。橋は徒歩専用でトラクターはその手前で終点だ。橋を渡ると牛車が待っていて、終点の村まで我々を運んでくれる。村の小さな店でジュースを飲んでいると子供たちに囲まれた。しばらく子供を追い回して遊ぶ。
 ここからは徒歩だ。幅広の畦道といった感じの道を歩く。所々で道が水没していて、そのたびに裸足になってズボンの裾をまくらなければならない。足の指の間をニュルリと泥が抜ける。子供の頃、田んぼでザリガニを追い回していた時以来のなつかしい感覚だ。やがて幅2mほどの小川に行き当たる。クマプーが斥候するが結構深く水は胸までくる。我々は真っ裸になって荷物を頭の上に載せてリレーし、対岸に運ぶ。ついでにちょっとひと泳ぎだ。泳ぎ回るうちに10mほど上流に膝下の水深で渡れる浅瀬を発見した。
 道は田んぼを経てやぶの中へと続いている。地元の兄ちゃんが2〜3人どこからともなく現れ、いっしょに歩きだした。どうやら私設ガイドのようだ。突然、兄ちゃんのひとりが奇声を発すると蛮刀を抜いて左手のやぶに走りこみ、何やら切りかかった。すぐに彼はヘビの下半身をやぶから引っ張り出す。上半身は逃げてしまったようだ。毒蛇退治かと思いきや、どうやら食用らしい。兄ちゃんは大事そうに下半身をずた袋にしまい込んだ。
 道はまた小川を越える。こんどは橋が架かっていて、地元の兄ちゃんたちはヒョイッと渡っていく。彼らには橋でも、我々にはハシゴだ。おりよく張出した木の枝に両岸から竹ハシゴがかけてあるのだ。すべって落ちても水に浸かるだけだが、カメラなど濡らしたくない荷物もあるので慎重に渡る。渡りきったところに小屋が建っていて、そこが洞窟見学の料金徴収所になっている。兄ちゃんたちは英語で料金の書かれた木の看板を指してお金を受け取り、洞窟への道を教えるとさっさと帰っていった。
 小屋の裏から急勾配の小径を登る。ボコ山に沿って道は続いていて、中腹まで登るといきなり大きな横穴が開いている。そこが洞窟の入り口だ。中はかなり広く湿度が高い。しばらくは岩をぬって道もあるが、やがては岩から岩へと跳び移らなければ進めなくなる。そのあたりでクマプーと先生は入り口に戻って休憩すると言い出した。おいおい、何しに来たんだ、洞窟探検じゃあなかったのかい?クマプーにいたっては
「僕、洞窟好きじゃあない」
とまで言い出すありさま。しかたなく小さな懐中電灯を頼りにひとりで奥地探検に出発した。洞窟には小さな竪穴はいくつかあるものの枝道はない。1番奥までは比較的楽に行けたが、帰りに左に回りこんだら、大きな岩が多く登り降りに時間がかかる。すぐそこに入り口が見えているのになかなかたどり着けない。クマプーと先生が心配して大声をだしている。それに答えつつさらに登り降りをくり返したどり着いたところは入り口ではない。もう1ヶ所外に向かって開いた口があり、外光が入り込んでいたので入り口と勘違いしたのだ。そこは崖の上で外界にはアクセスできない。がっかりしたらひどく蒸し暑く、疲れているのがわかった。しかし私は洞窟探検家、もうひとつの外光を目指してさらに登り降りを続けるのだ。

 ビエンチャンに向かうバスは普通の大型バスで、まずはほっと一息、3人で乗り込む。
道は平坦で舗装されているので、うとうとするうちにもうビエンチャンだ。
 バスを降りてちょっとびっくり。8年前に来たときより車もバイクもずっと多くなっている。街もなんだか明るく華やかになった。その分物価も上がっていて、ホテルが結構高い。バス停近くの安宿は値段はそこそこだが設備が古い。なんだかお化け屋敷みたいな宿だけど、1泊だけだからと部屋を取る。先生は
「明日ホテルを移動しますよ」
 と言って、付き合ってくれた。
 お土産なども買いたい我々、少し両替しようと市場に向かう。昔はやみ両替屋が堂々と店をならべていたのに、今はまったく姿もない。市場もきれいになって、昔の市場とは大違いだ。一部は冷房も効いている。
 街をぶらつくという先生と別れ、クマプーとともにもうひとつの市場に行く。
町外れの市場は昔の面影を残していた。しかし中に入って歩いても闇屋から声がかからない。たいてい市場の内外で声をかけてくるはずなのに、どうしたんだろう。どこかにいるはずだ。それとも今日はもう店じまいしちゃったのかな。
 何回か行ったり来たりしているうちに、雰囲気のあるおばちゃん集団が市場の隅にいることに気づいた。我々のカンが 「あのおばちゃんたちは闇屋だ」 と告げている。しかしおばちゃんたちから声はかからない。しかたない、こっちから行くか。まさか警察じゃあないだろう。近寄って恐る恐る声をかけるとやっぱり闇屋のおばちゃんだった。近頃は取り締まりが厳しいので、顔見知りとしか商売できないらしい。
 細かいドルを両替して、私はクマプーと別れ、8年前に知り合ったおばちゃんを探しに行く。前回ラオスに来たときはまだパーミッション+ガイド付きの団体旅行しか許可されていなくて、私はビエンチャンからでられなかった。おばちゃんはバンコクからノンカイまでの夜行列車で知り合った日本人のために自家用車で市内を案内してくれたり、家に呼んでご飯を食べさせてくれたりと、最大級のもてなしをしてくれたのだ。そのとき、歩いて何度かおばちゃんの家に行った。この市場の横の道を通って郊外に向けて歩き、右に路地を入ったところがおばちゃんの家である。多分覚えていると思うのだが。
 不確かな記憶を頼りに歩く。間違いなくこの道だ。この辺で掘っ建て小屋の床屋に入ったし、この辺でコーヒーを飲んだ。だけど、あれっ、橋を超えたっけな? いや、この手前ということは絶対にない。多分越えたんだろう。
 右に入る路地はそんなにたくさんはなかったはず。たしか1本目か2本目だ。いくつか路地を曲がっているうちに、記憶にある建物があった。何かの公共施設だ。しかしどうしてもおばちゃんの家が見つからない。前庭が芝生になっていて、右側にガレージのある平屋なのだが、もしかすると引っ越したか、建て替えたか。へとへとになるまで歩いたが、あきらめきれない。絶対にこの辺なんだ。行ったり来たり、同じ路地をもう1度曲がったり、気力の続く限り探してみたが、とうとう記憶にある家は見つからなかった。
 宿でみんなと落ち合い夕食。ラオス料理といえるようなものを食べようということになって、街中心のレストランへ行く。ラオス料理はタイ料理に似ているが、材料が微妙に違う。ほとんどの料理が辛くないのもタイ料理と違う点だ。などと比べているうちに、そんなことはどうでもよくなってきた。ラオス料理はラオス料理でしっかりおいしい。

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