タイの仏教と宗教概説3

僧侶について

 

 無事成人し、周囲の反対もなく祝福のうちに出家した男子は僧侶となる。
 僧侶は上座部仏教教団サンガに属し、全227条の戒律を守り、ひたすら解脱を求めて精進を続けなければならない。
 人々から最高の尊敬を得ているが、その生活は最低だ。また最低であらねばならない。
 ゴータマ仏陀の教えによると、世俗の一切を捨てていないものは、出家したとは言えない。欲得の一切から隔絶されなければ悟りを得ることが不可能だからだ。
 僧侶は乞食(こつじき)となって人の捨てた古布をまとい、托鉢によって食を得、雨露をしのぐ程度の宿で休む(眠ってどうなると仏陀は説いている)。この苦行から現出する煩悩を逐次断ち切って前進してこそ悟りを得ることができるのだ。

 僧侶の食事は1日二度、午前中にのみ採ることができる(実際は一度の寺院が多い)。
 また、一度出家した僧侶は、一時たりとも僧衣を脱いで一般人の服装をすることは許されない。街でよく見る頭髪や眉毛のない僧侶風の若者は還俗しているのであって、僧侶ではないのだ。

 僧侶は女性に触れてはならないし、触れられてもいけない。
 贅沢をしてはならない。にもかかわらず高級なサングラスをかけている僧侶が多いのは、それはたぶん誰かが 「捨てた」 ものなのであろう。
 捨てたものなら、もらっても平気。だから、人々は喜んで僧侶に物を捨て、そこから喜捨という言葉が生まれた。

 戒律守護生活が続行できなくなると、僧侶は僧衣を脱ぐ。これが還俗だ。これは修行を断念したことになるので教義から考えると落伍者となるが、タイの社会はそのようには思っていない。
 それよりも、厳しい出家生活を送ったという事実によって、その人の格が上がるとされている。
 成人しているのにいまだ出家していないものは未熟者(コン・ディップ)と呼ばれ、社会的地位がやや下となる。
 このような考え方があるため、出家式は成人式の意味合いを持ち、タイ人青年のひとつの通過儀礼にもなっている。タイの社会には一時僧制度なるものがあり、短期間の出家が認められ、一部の大企業や国家公務員の場合は入社後一定期間内なら有給で出家できる制度があるほどだ。

 しかし、ただ出家すればいいというものでもない。
 一時出家者なら経を読み、戒律を守って日々を過ごせばいいかもしれないが、真の出家者の場合は、それほど平穏でもない。

 まず、出家の期間が問われる。
 上座部仏教における僧侶の序列は修行年数によって決まり、5年以下、9年以下、10年以上の3段階に区分される。

 しかも、ただ漫然と寺にいればいいというものではない。
 タイ仏教界のサンガには階級があり、その階級は毎年行われる進級試験の結果によって決定される。この試験がまた難関で、上位に行けば行くほど難易度が高まるのは日本の大学受験と同じ。徳の高さより、知性の深さが勝敗の分かれ目だ。

 ワット・マハータートワット・ボウォニウェートには僧侶のための仏教大学が設立されているが、ここではとくに高度な仏教学講義が行われている。求道精神も組織的に合理化され体系的になったということだろうが、それでも究極への到達は易しいことではない。
 高位にランクされると一般大卒者と同等の資格も得ることができるが、並大抵の受験勉強ではランクアップすら難しいとも言われている。

 長期出家を自慢すればいいというものではなく、高い理想と向学心を維持し努力を続けていかないと、タイ仏教サンガ内で確固たる位置を築くのは難しいのだ。

 

 

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