タイ芸術界に近代西洋美術の息吹を吹き込んだ功労者シン・ピーラシー (本名コラード・フェロチ) 氏が、1934年に、ラーマ1世時代からあった工芸学校を、タイで初めての美術学校へと進化させたのが創立の発端。その10年後に現在の美術大学へと昇格した。
シン・ピーラシー氏は、ラーマ6世によって1924年にイタリアから招聘された芸術家だったが、1944年、タイに帰化。 タイ国内の重要な銅像をいくつも製作し、タイ史に残る芸術作品を数多く遺した。